【藤井さんの秘密】
展覧会になると美術部はかなり忙しい。
一年生も勿論それは例外では無い。
「そろそろ帰ろうか」
部長の一言に部員達はホッとした表情を見せた。
壁の時計は既に19時近くを示している。
藤井は時計を見ながら、大体の帰宅時間を頭の中で素早く計算した。
念のため、遅くなるかもしれないと連絡しておいて良かった。
今日は展覧会までに間に合わない可能性が出てきたので、思ったより作業が長引いてしまったのだ。
(早く帰ろう…)
そんなことを思いながら筆やハサミを仕舞う為に立ち上がった。
帰りは、同じ部で仲の良い友人と一緒に帰ることになった。
戸締りの為、一番最後に美術室を出る先輩達に「お疲れ様でした」と声を掛けると、「また明日!」や「お疲れ〜」などと返事があった。
「あ!ちょっと待って!」
まさに帰ろうとドアを閉めかけた時、中から副部長の女生徒が藤井の友人を引きとめた。
何か用があるらしいので、藤井は友人に先に行くと告げ、一人で職員玄関へ向かった。
生徒用の昇降口は既に閉められているので、残っている生徒はみんな職員用の玄関を利用しなくてはならないのだ。
藤井は友人を待つ間、玄関の外に立っていた。
辺りは真っ暗だが、学校周辺は街灯と家の灯りでほんの少し見渡せる。
(迎えに来て貰えば良かったかな……)
暗闇を見つめつつ少しだけ後悔し始めた時、携帯電話がメールを一通受信した。
両親が帰宅を心配してメールをくれたのかもしれない。
そう思いながら見ると、相手は友人の晴子だった。
内容は『今何してる?』から始まり、バスケ部の話題が続いた。
今日のメニューの話。
そして桜木くんがどうした。
流川くんと目があった。
そんな内容だった。
藤井がメールの返信ボタンを押した時、突然近くに人の気配を感じた。
玄関ではなく、外を歩いてくる人物がいる。
「あ……」
背の高い影…桜木花道だ。
マネージャーの晴子はもう部活を終えて帰宅してる筈。
彼は居残りしたのだろうか。
そう思いながら見ていたら、花道がこちらに気付いた。
思わず目が合ってしまいドギマギしていると、ノシノシとこちらへ向かって花道が歩いて来るではないか。
そして藤井の目の前で停止した。
「あなたは…ええと…確か晴子さんのご友人の………」
「藤井です」
咄嗟に答えてしまった。
「あ!そうそう!藤井さん、藤井さんですね!」
花道は満足げにうんうんと頷くと、突然かがみこんで藤井の顔を覗き込んだ。
「女の子がこんな夜遅く一人は危ないですよ。どうしたんっすか?」
と何故か咎めるような顔をした。
「あの……部活です。思ったより長引いたから……」
花道相手にどうして言い訳しなくちゃいけないのかなと思うと、藤井はなんだかおかしくて仕方なかった。
「部活?こんな遅くまで?何部なんっすか?」
「美術部なの。展覧会の準備があるから最近忙しくて」
展覧会?と首を傾げる花道に、藤井は説明した。
「ええと…分かりやすく言うと…」
少し考え込んでから「美術部の大会みたいな感じです」と教えた。
今度の展覧会は、湘北を始めとするこの地区一帯にある高校の美術部作品達が一堂に会するという割と大きなものだった。
「おぉ!大会!」
花道は知ってる単語が出たせいか、急に表情が輝いた。
その変化が面白くて、ついつい藤井も笑みを浮かべてしまう。
「桜木くん大活躍だったね。インターハイも」
「ナッハッハッ!なんせ天才ですから!」
頭に手をやりまんざらでも無さそうに笑う花道を見上げる。
「私も頑張らないと」
藤井が笑ってそう言うと「さては藤井さんも優勝狙ってますね?」と思いのほか真面目な顔で言われた。
「え……?」
一瞬返答に詰まると、ほんの少しだけ花道の顔が弛んだ気がした。
藤井はそれに気付いてぷっと吹き出す。
「うん。狙ってます」
笑いながら頷くと、花道も同じように笑った。
「それじゃ念を送るっす!」
そう言って『ぬぬぬ…優勝する〜!』と手を構えて藤井に念を送り始めた。
「さ、桜木くんっ!」
それに驚いて焦っていると、また人の気配がした。
ふと見ると、流川がこちらをじっと見ていた。
「あ…」
まさか彼まで残っているとは思わなかった。
「藤井さん?」
「あ!はい!」
名前を呼ばれて藤井は我に返った。
不思議そうな顔をする花道は、直ぐに流川の存在に気付いた。
「ぬ!流川!何見てんだ!」
「………別に」
と小馬鹿にしたような視線を寄越し、ふいっと歩き出してしまった。
「あ!テメ!待ちやがれ!天才より前を歩くな!」
花道が怒鳴った。
そしてクルッとこちらを振り返る。
何故かじっとこちらを見ているので、藤井は居心地悪くなりおずおずと尋ねた。
「な、何…?」
「一緒に帰りますか?」
「!!」
その申し出にびっくりした藤井は、両手を顔の前でブンブン振ると「友達と一緒だから」と慌てて断った。
花道はそっすか?と首を傾げる。
「さ―――」
藤井は、言おうとした言葉を咄嗟に飲み込んだ。
「え?」
花道が聞き返したが、またしてもブンブンと手を振り、何でもないとお茶を濁す。
そんな藤井を特に不信がらず、小さく手を上げてそんじゃ!と背中を向けてしまった。
次第に暗闇に紛れてその後ろ姿は見えなくなった。
何か怒鳴ったような声がしたが、もう聞き取ることは出来なかった。
「…………」
藤井はさっき飲み込んだ言葉を思い返した。
(桜木くん……。流川くんと居残りしてたのかな。きっと一緒に帰るんだよね…)
なんだか不思議な感じがする。
(みんなの前では、あんなに仲が悪そうなのに…)
そこまで考えると、自然と笑みが浮かんできた。
とても良いものを見たような気がする。
そして手元の携帯電話にやっと気付く。
(そういえば晴子に返信するんだっけ…)
藤井は携帯電話を握り直し、返信文を打ち込み始めた。
バスケ部の話題に触れた時、先程の出来事を晴子に教えてあげようか…と一瞬思ったが、やはり止めることにした。
(これは、秘密にしよう……)
花道と話したこと。
流川が一緒にいたこと。
二人は、実は一緒に居残って、帰宅するくらい仲が良いってこと。
(ちょっと意地悪かな?でも良いよね………)
これは誰にも内緒にしておこう。
ごめんね、晴子。
藤井は心で詫びながら、返信メールを打ち込んだ。
「ごめーん!お待たせ!」
ちょうど送信ボタンを押した直後、待っていた友人が小さな紙袋を片手に下げて先輩達と一緒にやってきた。
本の貸し借りをしていて、思わず語ってしまったらしい。
先輩達が先に歩き出し、藤井達は後からついて行く。
友人がふと「何かあった?」と尋ねてきた。
「ううん、どうして?」
「なんだか嬉しそうな顔してるから」
「そうかな。別に何も無いよ」
「そう?」
問いかけに藤井が頷くと、話題が変わった。
藤井は相槌を打ちながら最寄駅を目指した。
数週間後。
久しぶりに部活が休みだったので、藤井はバスケ部の練習を見学に行った。
体育館の入口から覗き込んだ時、紅白試合の最中だった。
晴子を探して何気なく視線を動かすと、休憩中で近くに居た花道と目が合った。
向こうも気が付いて、ズンズンとこちらへ歩いてくる。
「ええとあなたは確か………」
「藤井です」
あの日と全く同じやり取りなのがおかしい。
「そうそう、藤井さん!」
花道がぱっと閃くような表情をした後、口元に手をあてて内緒話のように囁いてきた。
「その後どうですか?」
「その後………?」
藤井は一瞬意味が分からず戸惑った。
「優勝は狙えそうっすか?」
「え?……あぁ!!」
藤井は目を丸くして、次に笑みを浮かべながら答えた。
「狙えそうですよ」
実際、展覧会には藤井個人の作品と共に、部の共同作品も無事に出展出来る目処が立ったのだ。
どちらも納得のいく作品に仕上がりつつある。
「ホントっすか!」
それは良かった!
自分のことのように花道は喜んでくれた。
「桜木くんの【念】のお陰です」
そう言うと、花道は「いえいえ滅相もありません!」と顔の前で手を振って見せた。
「藤井さんが天才なんです!」
その言葉に、藤井は驚いた。
「天才?私がですか?」
「そうです、そうです」
ウンウンと頷く花道。
呆気に取られたが、花道の裏表の無いその素直な言葉に藤井は小さく感動した。
「ありがとう」
そういうと、いえいえどういたしましてとまた花道が笑った。
その笑顔に、藤井はくすぐったい気持ちになった。
休憩が終了し、紅白試合に入っていく花道を見送った後「一体何の話?」と晴子や彩子が尋ねたが、藤井は曖昧に笑って教えなかった。
花道と話しをしている時、流川も何故かこちらを気にしているようだった。
花道と仲の良い流川にだったら教えても良いかな、と少し思ったけれど、その気持ちも一瞬で打ち消した。
やっぱり誰にも教えない。
これだけは内緒にしておきたい。
藤井はコートの中で走り回る花道達を笑みを浮かべながら見つめ続けた。
END
2004年にWEB拍手へお礼として載せていたSSです。
この時凄く藤井ちゃんにハマってて(笑)彼女視点の話が
書きたくてたまらなかったんです。それでちょうど天才の日も
来るので「天才」をテーマに第三者視点流花シリーズとして
書き始めました。彼女が美術部なのは私が高校生の時
美術部部員だったからです(笑)希望として後々藤井ちゃんは
花道のことを好きになってくれると良いなと思います(笑)
(2004年10月1日初出)
novel-top