【悩める少年】










 居残り練習は日課になっているので、よほどのことが無い限り欠かしたことは無い。

「おつかれー」

「お先ー」

 タオルで汗を拭っていると、帰宅する部員達が声をかけていく。

「またなりょーちん!」

「あぁまた明日な!お疲れ!」

 タオルで顔を隠すようにして視線を少しだけずらすと、隣に立つ赤い頭の後頭部が見えた。

 今日もこいつと二人で居残りか。

 嬉しいが………。

「―――ルカワ!」

「!!」

 突然宮城先輩が呼ぶので、正直驚いた。

 一瞬だけ間を開けて、ゆっくりタオルから顔を離した。

 動揺に気付かれただろうか。

「何ぼんやりしてんだ?腹でも減ったのか?」

「いえ……」

「疲れたんじゃねーの?バテバテの体力無しだからなキツネは!」

「うるせー」   

 動揺を気取られないように振舞うのは、なかなか難しい。

「まぁ、お前らも早めにきりあげろよ。明日もあんだから」

「分かってるって!」

「じゃーな!」

 そう言って先輩を見送ると、桜木は大急ぎで着替え出した。

「コートに先に入ってテメーより先に練習してやる!」

 と、訳の分からないことを述べ、新しいタオルを持つと廊下を走って行った。

「……どあほう」

 バタバタという足音が完全に消えた時、無意識のうちに溜息を吐いていた。

 一人になった静かな部室で新しいシャツに着替え、ロッカーを閉める。

「?」

 ふと見ると隣のロッカーから何かベルトのようなものが飛び出しているのが目に入った。

 見覚えがあるそれは、いつも桜木が持っているスポーツバックの肩掛け紐だろう。

「………」

 入れなおしてやる義理は無い。

 義理は無いが………。

 少しだけ耳を澄ませ、周りに誰も居ないことを確認した。

 ………まぁ、これくらいは許されるだろう。

 指先でロッカーの扉をつーっとゆっくりなぞりながら、飛び出している紐へ触れる。

 これはいつもあいつが持っている物の一部なのかと思うと、ただの紐がなんだかとても愛しくなる。

 猫の顎を撫でてやるように人差し指でチョイチョイと撫でるとそれにあわせてひょいひょいと紐が揺れる。

 それが不思議と微笑ましく、ついつい何度も弄ってしまう。

 こんな紐が欲しいと思うとは、我ながら変だ。

「………」

 ふと我に返り、手を離した。

 ―――練習しなくては。

 こんな紐じゃなく、本物が居る体育館で。



 










 あまりあからさまに見ないようにするつもりだった。

 ほんの少し視線を横に向けるだけでギリギリ我慢していた。

 でもいつも失敗してしまう。

「何見てんだルカワ!」

「…別に見てない」  

 お前なんか見てない。

 見てないつもりだ。

 だからこっちを見るな。こっちに来るな。頼むから。

 でも結局いつも桜木の顔が近づいて睨まれる。

 視線を合わせたくないので目を逸らすと、その方向へ回り込みまた間近で睨んでくる。

 勘弁してくれ。

「邪魔だ」

 そう言って金縛りにあったように固まった体をなんとか動かす。

「逃げるのかキツネ!」

「………」

 背後で吼えるのを黙殺し、タオルを掴み外の水道へ向かう。

 案の定桜木は追ってきた。自分のタオルを持って。

「あぁクソ!貴重な練習時間をキツネごときに邪魔されるとは!」

「集中力が足りねえ証拠だ、どあほう」

「あぁ?!」

 聞き捨てならんとばかりに隣に並んだ桜木が睨みつけてくる。

「別に俺は何も見てない。それを勝手にテメエが勘違いしてるだけ」

 手を洗い、次いで顔を大雑把に洗う。冷たい水が気持ち良い。

「………さてはテメエ……俺様を盗み見て『俺も桜木くんのように頑張らないと!』なんてソンケーの眼差しで見てたんだろう!だから認めたくねーんだな!そうかそうか!ガッハッハッ!」

「………」

 どあほう。

 本当にどあほうだ。筋金入りの。

「…………ふぅ…」

 顔をあげて盛大な溜息をついてやるが、桜木はまだ機嫌良さそうに笑っている。

 呆れつつ前髪をかきあげる。濡れたままの顔に風があたって火照った顔が涼しい。ポタポタと自分の顎や前髪から雫が零れる。

「なんなら今度からは近くて堂々と見ても良いんだぞルカワくん!ただし側で大人しく体育座りしてな!」

 そう言って俺の肩をバシバシ叩いたかと思うと、顔をザバザバと洗い始めた。

「…………どあほう」

 小さく呟いてみる。水の音で掻き消されてしまう程の音量で。

 濡れていく赤い髪をぼーっと見ていると、やがて桜木は手を伸ばし水道の上に置いていたタオルを取った。

「あ………」

 思わず声が洩れた。

「あ?なんだ?」

 ゴシゴシと顔をこする桜木はようやく気付いたのか動きを止めた。

「ん……?あっ!俺んじゃねえ!」

「……勝手に使うな」

「なんだよ!隣に置くなよ!間違って使っちまったじゃねーか!顔が腐る!」

「どあほうが。勝手にそこに置いて勝手に使っておいて、ふざけんな。タオルが腐る」

「んだとー!」

 俺のタオルを持ったまま怒鳴る桜木からそれをさっと奪い、自分の濡れた顔を拭う。

 さすがに少し湿っぽい。   

「………」

 タオルの影から様子を伺うと桜木は自分のタオルで顔やら首やら頭を拭いていた。

「あー、最悪だ。ルカワのタオルなんて使ってまうなんてよ。まぁ、ルカワくんはそれをありがたく使いたまえ。天才が使ってやったタオルだ。俺様には遠く及ばねえがちっとはバスケが上手くなるかもしれねえからよ」

「超どあほう」

 即答してやる。

 もう用は無いので体育館へ戻ろうと背を向けると、やはり桜木も着いて来る。

 俺はタオルを強く握り締め、湿った感触を確かめた。

 タオルは二人分の水分を含んでかなり湿っていた。



 










 程好く疲れた体で帰宅すると、夕飯の支度が出来たら呼ぶから少し待てと言われた。

 部屋に戻る前に洗濯物を出せといつも言われるので、洗濯機の横にあるカゴへバックからシャツやタオルを取り出す。

 隅のほうに押し込んであった湿ったタオルを引っ張り出し、カゴに放り込む寸前で、止めた。

「………」

 湿った感触はあまり気持ちの良いものでは無いが、そのままカゴに放り込むのは躊躇われた。

 少し悩んだ末、結局バックへ戻し、二階の自室へ向かった。

 床へバックを置いて、その横にあぐらをかいて座る。

 バックの中から先ほどのタオルを取り出すと、やっぱりそれは湿っていた。

「………わかんねえ…」

 なんでこんなにこのタオルが愛しいのか。

 このタオルを見ているだけで嬉しくて仕方ない。

 昨日、いや、今日の放課後まで何の変哲も無いいつも使っている極普通のタオルだったのに。

 今はこのタオルがとても貴重でとにかくとてもとても大事なものだと思えてくるから不思議だ。

 そして、我慢出来ない。

 やっぱりどうしても我慢出来なくて、そのタオルをゆっくり頬に当てた。

 頬に当る湿った冷たい布。

 帰宅するまでそんな欲求は微塵も感じ無かったのに、自室へ入った途端我慢出来ないくらい大きな衝動が襲ってきた。

 気がついたら、タオルへ唇を押し当てていた。

 やっぱり変だ。

 タオル相手にこんなことやってんだから。

 でもどうしても自分じゃ止められないのだ、困ったことに。

「…超どあほう…」  

 どうやら本気で桜木花道が好きみたいだ。

 自分でも呆れるくらい、好きで仕方ない。こんなことを平気でしてるくらいだ。

 でもおかしなもので、そう思うとストン何かが落ちたようにすっきりした気持ちになった。

 簡単なことだ。それに仕方が無い。それならば受け入れたほうがずっと楽だ。

「やべぇ…。超好きだ」

 洩れた言葉に自分で笑える。

 あんなサルでどあほうなド素人なのに。

 カーペットの上へ仰向けになり、顔をタオルで覆った。

「好きだ好きだ好きだ」 

 タオルの所為で声がこもる。

「俺のもんになんねーかな……」

 濡れたタオルが苦しいが、それよりなんだか胸の方が苦しくなった気がする。

 胸がズキッと痛くなってどうすれば良いのか分からない。

「なんだこれ……」

 相変わらずタオルに顔を埋めて困惑していると、急に腹の虫が鳴った。

「………」

 ひとまず腹を満たそう。考えたって始まらない。

 タオルをバックへ放り投げ立ち上がると、階下から夕飯の支度が出来たと声がした。

 さて、あのタオルをどうするか、そんなことを考えると妙に楽しい気分になった。






















END












流花の日&サイト4周年。せっかく流川と花道二人の日なのに
やっぱり流川の片思いになりました(笑)すまん流川。ラブラブ
な話はまた今度ね(汗)独り言をブツブツ呟いてみたり、自分の
行動に反応する花道が嬉しかったり、自分の物に花道が触れた
ことに動揺してこっそり宝物(!)にしたり。他にも削った
エピソードがあるので、また片思いの流川を書きたいと思います。
片思いが好きだ!流花が好きだ!(笑)

(2006年11月10日初出)


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