【熱】
連日最高気温35.0度を記録している。
毎夜熱帯夜で、仙道はまともな睡眠が取れずにいた。
コンビニで買ったウーロン茶を開けて、喉を鳴らしながら飲む。
冷たい液体が食道を通って胃へ到達するのが良く分かる。
(干乾びて死にそうだ………)
今日は最悪なことに、仕事で一日中外回りをしなくてはならない日だった。
涼しいオフィスを行ったり来たりしていると、ダルさが酷くなって行く。
これでは具合が悪くなりそうだ。
適当に店に入って休憩しようかとも思ったが、どうせ直ぐに移動しなくてはならないのだ。
それならお茶でも飲みながらどこかで少し休憩しよう。
そう思い、緑の多い大きな公園を選んだ。
公園の中央には大きな噴水があって、そこでは子供達が集まってはしゃいでいる。
それを横目に空いているベンチを探した。
すると丁度老夫婦が席を立ったので、そこへ座ることにする。
幸いそこは木陰になっていて、噴水のおかげか幾分涼しい風が運ばれてくる。
「ふぅ……」
思わず溜息が零れてしまう。
ネクタイを緩め、シャツのボタンも一つ外す。
ベンチに凭れ上を見上げると、茂った木々の間から強い日差しが少しだけ零れていて、
見ている分には涼しげだった。
目を閉じるとひんやりした風が頬を撫でる。
こんな蒸し暑い日は、いつも思い出してしまう。
高校生の時のある夏の日を―――。
その日、仙道は一人だった。
特に誰かと会う約束もしておらず、とりあえず日曜日の午後ということもあって暇だった。
ただ家でゴロゴロしているのもつまらないので、映画でも見に行こうと家を出た。
近所に映画館が無いので、仙道は少し足を伸ばして隣町まで出かけた。
「あれ…桜木?」
「センドー?」
映画館へ行く途中、湘北高校の桜木花道に会った。
「何やってんだ?」
「そっちこそ」
「ぬ…俺は別にパチンコやって大損したとかそんなことは……」
「俺だって別に暇だから映画でも見ようかなんて…」
「………」
「………」
ようするにどちらも大した理由があってそこに居る訳では無いらしい。
歩道にはたくさんの人が行き交っている。
歩道の端に寄って立ち話をしていると、文字通りジリジリと首筋が焼けるようだった。
こめかみで生まれた汗が頬を伝い顎に至る。滴り落ちた汗がシャツに染みを作った。
ビルに取り付けてある電光掲示板には『ただいまの気温36.5度』と言う文字が流れていく。
体温よりも高い気温に仙道は軽い眩暈がした。
花道の口がパクパクと動いたが、声…というより一切の音が耳に入らない。
(暑い………)
なんだか頭がぼんやりする。
「センドー?!」
自覚が無いまま仙道は花道の手首を強く掴み、強引に引っ張って歩き出した。
太陽から逃げるように足早に進む。
後ろで何か喚くような気配がしたが、そんなものは気にも止めない。
大通りを横道に入り、裏路地を少し歩くとその建物はあった。
仙道は受付で大人2枚のチケットを素早く購入して、その中へ入る。
涼しい館内に入った途端、花道の声が聞こえた。
「何なんだよテメー!」
「何って………何が?」
花道の質問に答えながら、仙道はシャツの肩口で額の汗を拭った。
「何がじゃねーよ!こんなとこに入って、何考えて―――」
「映画見るんだよ」
「はぁぁ?」
「ホラ始まってるよ、入ろう」
「ふざけんな!こんな映画見る為にわざわざ来たのかよ…っ」
「いや、違うけどさ。でも桜木も一緒だし、それなりに面白いかもよ?」
「面白いって……」
「恥ずかしい?」
「なにっ?!」
「涼しいし、人は少ないし、休憩するには最高だと思うよ。桜木はこういうの見ないの?」
「俺は……っ」
「興味無い?……それとも、勃っちゃうから恥ずかしいとか…」
「うっせぇ!こ、これくらいどってことねぇよ!」
そう言って、花道は仙道よりも先にズカズカ歩いて扉を開けた。
入った建物はポルノ映画館だった。
仙道自身も実は初めて入る。
すんなりチケットが買えたのは、おそらく外見が二十歳くらいに見えたせいなのか。
堂々としていたから逆に不審に思われなかったのもあるだろう。
館内は予想通り寂れていて、客はまばらだった。
一番後ろの端に並んで座る。
目の前で展開されていく陳腐なポルノ映画より、仙道は隣に座った花道の様子の方が
酷く気になった。
こんな卑猥な映画を昼日中から花道と隣同士で座って見ていることがなんとも不思議な
感じだ。
半開きになった花道の唇がやけにいやらしい気がする。
膝の上では拳を握って何かを耐えているようだった。
『う…あぁん!…あっあっあぁ!!』
スクリーンから聞こえてくる大げさな喘ぎ声や粘着質な音が仙道と花道の全身を包み込ん
でいる。
仙道はほとんど無意識にごくりと喉を鳴らし、隣で食い入るように画面を見つめている
男の全身を舐めるように目で犯した。
花道から微かに汗の香りがする。
その噛締めた唇を見て、思わず下品にも舌舐めずりまでしてしまった。
3本上映された中で、一番最後の作品は日中にカーテンを閉めて彼氏の部屋で励む
恋人同士の話だった。
薄暗い部屋へ絡まる2つの体が時々影絵のようにカーテン越しの光に照らし出される。
内容はとてつもなくくだらなかったが、仙道はそれが一番印象に残った。
それは花道も同じだったらしい。
仙道と花道は映画を見終わった後、ほとんど無言で映画館を後にした。
そして、仙道にしてみたら恐らく一生行くことなど無かったであろう花道の家へ向かった。
お互い行動は非常に迅速だった。
一言も口を開くことも無く、無言だ。
部屋は玄関を開けた時と全く同じにムッとするほど暑かった。
出掛けていた為にカーテンが閉められた部屋は、元々日当たりが悪いようで、薄暗い。
畳の部屋の真ん中にあるテーブルを仙道がどかすと、花道は押入れから布団を一枚
取り出して敷いた。
敷布団の上に掛かっているシーツは既に皺くちゃだ。
「………」
「………」
そしてお互い服を全て脱ぎ、布団の傍に適当に投げ捨てる。
エアコンなんてものは無いので、花道は行儀悪くも足の親指で扇風機のボタンを押した。
その引き締まった後姿に、仙道は間違い無く激しく欲情して勃起していた。
先に相手の体に挑みかかったのは、仙道だった。
そこから先はほとんどお約束のように展開していった。
交互に上になったり、上下逆さまになったり。
ありとあらゆる体位を試し、ありとあらゆるものが体の上に滴り、それを互いに啜る。
しゃぶって、噛み付いて、齧って。
飲み込み、撫でて、こする。
「……っ…はっ…」
「……くっ……」
およそ仙道の知っている花道からは想像もつかないような態度を彼は見せた。
腰に跨り大きく足を広げて凶器を体に刺す。
くねくねと体を揺らし、顔は恍惚に酔う。
己の性がここまで欲望の限りを尽くして激しい行為を望むなど予想もしなかったので、
仙道は頭の片隅で戸惑っていた。
しかしそんな戸惑いは直ぐに濃密な空間が消し去った。
扇風機の音と温い風。
そして窓を締め切っている所為で酸素まで薄くなってしまった気がする。
貪るように空気を吸わないと窒息しそうだ。
忙しない呼吸と肌がぶつかり弾ける高い音。
鼻を掠める互いの体臭。
思わず洩れる呻き声。
それが、この空間の全てだった。
「……暑いな」
「あぁ……」
仙道と花道はぼんやりと扇風機の風にあたっていた。
脳みそが考える事を放棄しているようで、何も考えられない。
シャワーを浴びて、そのまま敷きっぱなしの布団に座り込んだ。
足元にはコップがあって、そこには冷やした麦茶が入っていた。
気が抜けて座り込んだまま暫らく二人はそうしていたが、やがて花道がのっそりと
立ち上がった。
下着を着けてカーテンを開ける。
仙道はあまりにも眩しくて目を背けてしまった。
ガラガラと窓を開けると、この日初めての自然の風が部屋に吹き込んだ。
思ったよりも涼しくて気持ちが良い。酸素を欲して思わず深呼吸してしまう。
「どけよ」
「ん…」
言われてようやくのそのそと布団の上からどいた。
花道は皺くちゃで湿ったシーツをダルそうに剥ぎ取り、それをまるでゴミでも捨てるように
洗濯機に投げ入れた。
その後姿をぼんやりと見ていた仙道は、服を着て「帰るよ」と声を掛けた。
花道は振り返りもせずただ「気を付けて帰れ」と言ってくれたような気がする。
あまりよく聞こえなかった。
まるでずっと夢でも見ていて、いまだに寝惚けているような、おかしな感じがする。
ぼんやりした頭のまま仙道は、かろうじて覚えている帰り道を何も考えず駅まで歩いた。
「…………」
仙道は溜息を吐き、ウーロン茶を飲んだ。
(熱射病にでも罹ってたのかな……あの時……)
後にも先にも男と寝たのはそれきりだ。
それ以来、夏になると思い出す。
そしていつも同じことを考える。
――もし、あそこに居たのが花道では無かったら?
今まで何度も何度も自問してきたが、答えが出たことは無い。
おそらく一生答えは出ないだろう。
あれを思い出すと自分でも驚くほど欲望が湧きあがり、若い頃は大変困った。
今ではそこまで体が熱くなることは無いが、それでも忘れた事は一度たりとも無い。
(今日は確か、六本木のクラブで越野と遊ぶんだっけ……)
しかしそんな気分にはなれない。
久しぶりに、思い出したせいだろうか………。
仙道は目を瞑った。
そよそよと涼しい風が吹き、噴水の音が心地よい。
その時、仙道は自分を呼ぶ声を微かに聞いた。
『……どう…』
「…………」
『…せ…ど…』
「…………」
(ヤバイな…幻聴が聞こえるよ………相当疲れてんだな……)
数年聞いていない懐かしい声に、仙道は思わず口の端を上げた。
「センドーっ!」
「えっ!!」
あまりにも近くで声が弾けたので、仙道は驚いてパチッと目を開けた。
目の前に誰かが立っている。
「センドー!寝惚けてんのかぁ?」
「……………さ…」
自分が見ているものが信じられない。
この赤い髪の大人びた男は誰だ。
まさかまさかまさか………。
「大丈夫か…?」
仙道は目の前で心配そうに顔を覗き込む男と現実に対応出来ず、瞬きを繰り返し呆然と
するしかなかった。
「お前、全然変わんねーな!」
笑いながら仙道の隣に彼が腰掛ける。
ふわりと良い香が漂う。
―――強烈な眩暈がした。
また、あの日がやって来たのか……?
甦る。
あの暑い、夏の日が。
「―――」
懐かしい名前を呼びながら、うっすらと仙道は思った。
(あぁ、今夜も眠れそうにないな…………)
いつもとは少し雰囲気が違う仙花。
この2人は再会してからきっと恋人になるんだろうなぁと(笑)
テーマは『出合い頭の衝突』です。
元ネタはミスチ●の【こんな風にひどく蒸し暑い日】です。
【Sign】のカップリング。
曲の主人公は妻子がいるんですが、この仙道さんは独身貴族(笑)
初めて聞いた時から絶対仙花で書く!と思って暖めてきました(笑)
やっと書けて幸せ。でももっと曲に近い雰囲気で書けたら良かったんですが、
私の今の技量ではこれが精一杯でした(汗)
(2005年7月10日初出・仙花の日万歳!笑)
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