じゃじゃ馬姫と居眠りキツネ







 それは後に中世と言われる時代。

 ヨーロッパのすみっこには、全土統一の覇権争いとは無縁の小さな国があった。

 SD国と呼ばれるそこは、国王アンザイが治める平和な国。

 小さな小さな領土は、さらに小さく分割され、四人の領主によって治められている。

 そのひとつ、ショーホク領のアカギのもとには、国一番の美姫と噂に高い

ハナミチ姫がいた。

 炎のように情熱的な赤い髪、大輪のバラを思わせる美しい顔、ハープの音のような

澄んだ声。

 各地を旅する吟遊詩人は、恥ずかしがり屋で公式の席にめったに顔を出さない

姫の容姿をそうほめたたえた。

 おかげで、アカギの元には、一目国一番の美姫に会いたいという名だたる

騎士や領主の子息、隣国の使者などが日参する毎日である。

 だが、噂というのは、案外あてにならないものと相場が決まっている。

 最初の人間が一のことを話しただけど、十人目にそれを伝え聞いた者は

十くらいの大きな話になっていたりするものだ。

 たしかに、真実ショーホクのハナミチ姫は、美しかった。

 おそらく現在のSD国では一番だろう。

 しかし、問題はその素行にあった。

「右よし……左よし……いまだっ!」

 石造りの城の使用人用の出入り口から周囲のようすをうかがったドレスの

人影は、そこにだれもいないことを確かめるなら裏門へと走り出す。

 足首まで届く花色のスカートをまくりあげて、すらりと伸びた足を惜しげもなく

露出させながらである。

 のどかで平和なSD国は、暗殺などの謀略とも無縁なので、非常におおらかだった。

 そう、裏門に警備兵がいないくらいにだ。

「へへへ、今日も無事に脱出成功だぜっ!」

 城から少し離れた場所まで一気に駆け抜けた国一番の美姫は、

そこでふうと息を吐き、透けるような空を見上げて目をほそめる。

 花道を産み落とすとまもなく、実母は死んでしまった。

 現在城内のこまごまとしたことを取り仕切っているのは五年前にアカギの

後妻になったアヤコである。

 だが、別段彼女とうまくいってないから、城を抜け出すわけではない。

 礼儀作法や領土内の勉強などが苦手だから、つい息抜きに出てしまうのである。

 花道の息抜き場所は決まっている。

 城から少し離れた湖のある森だ。

 そこには鹿やうさぎ、リスなどがいて、赤毛の姫の心をなごませてくれるのだ。

「オ〜レは〜天才〜♪」

 自作の天才ソングを口ずさみながら、花色のドレス姿がうるわしい姫は

木々の隙間から木漏れ日が射し込む森の道を歩いていく。

 高貴な生まれの人物が供もつれずに三歩など、当時のヨーロッパでは

考えがたいことであったが。

 なにせ、ここは平和なSD国だ。

 刺客に脅えることなどないのである。

 それがわかっているからこそ、アヤコやアカギはある程度見て見ぬふりを

しているのだろう。

   チチチチチチ……。

 上機嫌に鼻歌を歌いながら森を進んでいく花道に、瑠璃色の小鳥が

あいさつしてくる。

 すっかりこの森で顔なじみになっているだけあって、頭上で旋回したのちに

肩に止まってくるくらいだ。

「おう、久しぶりだなぁ。元気にしてたか?」

 城を抜け出した姫のほうも、笑みを浮かべ人懐っこい小鳥に問いかける。

   チチチチチチ。

「ん? そーか? 元気だったか。よしよし」

 まるで本当に相手の言葉がわかるかのように艶やかにほほ笑んだ花道は、

その小鳥を肩に乗せたままいつも遊んでいる湖のほとりへと足を踏み入れる。

 木々の合間にぽっかりと広がったそこは、森の動物たちの憩いの場だ。

 国の平和を繁栄するように湖畔にはさまざまな小動物が姿を見せていて、

領主の姫がかさりと音をたててそこへやってくるなり警戒に耳をそばだてたが。

「おーす。おまえら元気だったか?」

 満面の笑みを見せながら水辺へと近づいてくるドレス姿の姫君を視界に

おさめるなり、すぐに緊張を解き集まってくる。

 今日集まっていたのは、つがいの山ネズミ、鹿の親子、いたずら者のリスだ。

「へへっ。今日も食い物くすねてきたぞ」

 青々とした短い草が生えている湖畔に腰を下ろした赤毛の姫は、ドレスの

胸元にしまっておいた小さな包みからローストした木の実やパンの切れはしを

目の前にまく。

 すると、尻尾だけが真っ白のリスが真っ先に駆け寄ってきて、木の実を

抱えて花道の腕から肩へと登ってくる。

「べつにとりゃしねーから、あわてんなよ」
 
 姫君はあわてもののリスの頭をやさしくなでて破顔した。
 
 城での暮らしはそれほど窮屈なものではないけれど、ここにいるときのほうが

心がなごむ。
 
 領主の姫という立場などわかっていなかった時代に幼なじみと日参した場所

だったから。





    *   *   *





 ハナミチ姫が庭のように熟知している森に入ってから、二時間ほどたった

ころだろうか。

 動物達の憩いの場である広場に、染みひとつない純白の馬が優雅な

足取りで現れた。

 といっても、その新しい訪問者は、裸馬ではない。

 背中には馬具があり、そこに漆黒のかたまりが乗っている。

 しかし、純白の馬は手綱を引かれている風でもなく、ゆっくりと水辺に歩み寄り

首をたれた。

 その刹那ーー。

  ドタッ!

 愛馬の背中で居眠りをしていた人物は、見事に地上に転げ落ちていて。

 ずいぶんたってから、ようやく自身におおいかぶさっていた漆黒のマントを

気怠げに払いのける。

 地肌に直接つけた白いシャツ以外、チュニックもひざ丈のズボンもブーツも手袋

までもが真っ黒の、騎士のようないでたちをした男は、甘さはないものの

女性に匹敵するくらいの端正な面ざしをしていた。

 黒い髪と長いまつ毛に縁取られた切れ長の双眸は、星のない夜の空のようで。

 露出した肌は日に焼けたことなど皆無のように白い。

「……」

 手痛い起こされ方をした青年は、自分がいる場所が把握できていないようで、

ゆっくりと周囲に視線をめぐらせる。

 すると、少し先に大の字になって眠っているドレス姿の人影を発見して。

 遠目にも鮮やかな赤い髪に惹かれるように、そこへと近づいていく。

(すげーカワイイ♪)

 ルカワは横になっている相手の顔をしげしげと見つめ、無表情ながらも

悦に入っていた。

 燃えるような真っ赤な髪。

 閉じているが大きな瞳。

 ふっくらと触り心地がよさそうな唇。

 ばら色のほほ。

 そのすべてが、彼を誘っている。

(♪)

 誘惑にあらがえず、漆黒の騎士はふらふらと寝入っている人物に口づけた。

(♪♪♪)

 己の唇で相手の柔らかいそれを感じた彼は、胸にえも言えぬ至福を覚える。

 これほどの高揚を感じたことはない。

 だが、幸せにひたるルカワの、地面についていた右手に激痛が走った。

「!?」

 なにごとかと、キスを中断して痛みを感じた場所へと視線をむけると。

 そこには尻尾だけが白い子リスがいて、彼の手にかみついていたのだ。

「にゃろー、なにしやがる?」

    キキキキキッッ!

 威嚇するように甲高い鳴き声をあげた小動物は、眠っていた花色のドレス姿

の人物の髪の毛へともぐりこんでしまう。

    キキキキキッ!

 もう一度、凶暴な子リスが耳障りな音をたてて。

「……ん〜?」

 そのとたん、ハナミチは眠りの淵から引き戻された。

「……なんだぁ? どーした子リスくん」

 開きたがらないまぶたを無理やり開けると、

「おい」

 目の前にとても整った造りの顔があった。

「なっーー」

 あまりの驚きに、花色のドレスをまとった姫君はあわてて飛び起きる。

「テッテメーだれだっ!? なんでんなとこにいやがる!? ここはオレと

ヨーヘーの秘密の場所なんだぞっ!」

「ヨーヘー? そいつはおめーの好きなやつか?」

「なっなに言ってやがんだっ! ヨーヘーはオレの幼なじみだっ 好きとか嫌い

とかんな簡単なもんじゃねーんだよっ!」

「……」

 目を覚まずなりがなりたてる一目ボレの相手を見つめながら、漆黒の騎士は

ひたいに青筋を浮かべた。

「んなヤツには渡さねー。おめーはオレのヨメになれ」

「……」

 あまりに突拍子のない台詞に、ハナミチは目を大きく見開いたまま

硬直してしまう。



   おれノよめニナレ??



 頭の中を何度も変換しきれないその音がめぐり、ずいぶんたってからその

意味が理解できて。

 脳裏に純白のドレスを着て目の前の男のとなりにいる自分の姿を思い浮か

べてしまった領主の姫は、すっくと立ち上がりどもりながら告げる。

「なっなに言ってやがんだっ! 冗談は休み休み言えっ!!!」

 十五になって、いくつもの縁談話が持ち上がって、何人かの求婚者に会ったけれど。

 こんなに薮から棒な相手は初めてだった。

 あまりにも唐突すぎて、冗談を言われているようにしか思えない。

「冗談なんかじゃねー。本気だ」

「ほっ本気だったらなおさら悪ィ。顔洗って出直してきやがれ、この

キツネヤロー!!」

 くるりと広がった長いスカートのすそをひるがえした赤毛の姫だったが。

「待ちやがれ、どあほう!」

 ここで逃してはならじとばかり、ルカワは相手の手首をつかんで自分の

胸へと引き寄せた。

 そして、抗議の声をあげようとした淡いピンクの唇を素早くふさぐ。

「!」

 ハナミチは自分の身になにが起こったか理解できていないふうで、

大きく明るい茶色の双眸を

見開いたまま身体を硬直させていた。

「♪」

 二度目の口づけを奪うことに成功した黒髪の騎士は、図に乗ってわずかに

開いた唇から己舌を

すべりこませる。

「!!!!!」

 口内を蹂躙され始めて、国一番の美貌とされる姫はようやく事態を把握して。

   がりっ!

 自分の口の中で暴れていた生き物に手痛い攻撃をした。

「ーーっ。にゃろー……」

 舌を噛まれた男は、口の端からにじんだ血を片手でぬぐい、思わぬ反撃を

してきた相手をにらみつける。

「……オレ様は悪くねーからなっ! んなことしやがったてめーが悪ィんだぞっ!」

 強引にキスしてきた相手が流した赤い液体にすこしばかり罪悪感を覚えて

いるようで、ハナミチは声のトーンを落とし、少しずつあとずさっていく。

「オッオレは悪くねーんだからなっ!」

 一メートルほど後ろ歩きした直後、方向変換して脱兎のごとく走り出す。

「にゃろー、逃がすかっ!」

 猛スピードで逃げていくドレスの相手を黙って見送ることなどせず、黒ずくめ

に近い男は口笛を吹いて愛馬を呼び寄せた。

 そして、ひらりとその背に飛び乗り、遠ざかってく一目ぼれの相手を

追いかけ始めた。

「なっなんでついて来やがるんだっ!」

 森の小道を周囲の風景がみえないくらいの速度で疾走していた領主の姫は、

ちらりと背後を振り返り悲鳴のように言う。

 とても端正な面ざしをした男だった。

 不意に間近で見た長いまつ毛に縁取られた漆黒の双眸を思い出し、

心臓が高鳴る。

(なななななななんだっ!)

 走っているせいではなく、ほほや耳が熱くなる。

 触れてきた唇のやわらかい感触までがくっきりとよみがえってきて。

「なに考えてんだ、オレはっ!」

 脳裏に浮かんが考えを打ち消すように、ハナミチは大きく頭を振った。

 その足元に、わずかにへこんだくぼみがあって。

   ドテッ!

 花色のドレスをまとった領主のひとり娘は、盛大に転んでしまう。

「っーーいて〜〜〜〜!!!」

 無様な姿で地面に顔から突っ込んでしまったハナミチは、癇癪をおこした

ように長いスカートからむき出しになった足をばたつかせる。

  ーーと。

「大丈夫かっ、どあほうっ!」

 真っ白な馬に乗ってやってきたくだんの男が、馬を降り駆け寄ってきた。

「来るんじゃねー、エロギツネっ!!」

 敬遠するように放った言葉も相手には聞き入れてもらえない。

 黒に包まれた騎士は、すたすたと近づいてきて。

「んなカッコで無茶な走り方すっからだ、どあほう」

 きつい言葉をやさしい声音で告げてきた。

「よっよけーなお世話だっ!」

 足の異常を確かめるために伸ばされた手を払いのけ、視線をはずしたまま

赤毛の姫は立ちあがる。

 すると、

「ーーっ」

 右足に体重をかけたとたん、びりりと足首に痛みが走った。

「足、痛めたみてーだな。家どこだ? 送っていってやる」

 ルカワの目論見としては、そのまま両親に娘を嫁にくれるよう告げるつもりだ。

「よけーなお世話だっつてるだろーがっ!」

 どんどん激しくなっていく痛みに表情をこわ張らせながら、意地っ張りな姫は

城の方向へと進み始める。

「……」

 美貌の騎士は、大きなため息とともに肩をすくめて。

 愛馬の手綱を手に、そのあとを追う。

「ついてくるなっ!」

 走ることができなくなったハナミチは精一杯の虚勢をはって怒鳴るのだが。

「こっちに用事があるだけだ」

 ルカワは平然として答えた。

 この先にあるのは、ショーホク領主アカギの居城だ。

 ちょうど、そこへ向かう途中だったのだから嘘はついていない。

「こっちはうちのオヤジの城しかねーぞっ! てめーみてーな庶民が領主に

なんの用だっ!」

「おめー、アカギ公のムスメなんか?」

「おう! オレがゆーめーなハナミチ姫だっ!」

 赤毛の姫君は自信満々に胸をはった。

 吟遊詩人がその美貌をたたえた歌を歌っているとい噂は、継母づきの

侍女ハルコから聞いている。

 多少お調子者の気がある姫が、得意げになってしまうのは仕方のないことだった。

「……ふーん」

 噂や詩人の歌になど興味のない騎士は、相手の言葉を聞き流してしまったが。

「なっなんだよっ!」

 ハナミチはそれが気に入らず、唇をとがらせる。

「てめーがどこのだれだろーが関係ねーが好都合だ。オレのヨメになれ」

「だっだれがてめーみてーな庶民のヨメになんかなるかっ!」

「オレは庶民じゃねー。トミガオカ領主の息子、ルカワだ」

「あ??」

 トミガオカといえば……自分を息子の妃にと再三使者を送ってきているらしい

とハルコが言っていた相手ではないか。

「つーことはてめー、オレ様をヨメにくれっつってるヤツなんか?」

「ああ」

 本当は、親が勝手に使者を送っていた縁談で。

 彼はそれをじかに取り下げに来たのだが。

 この意地っ張りなじゃじゃ馬姫が相手なら異存はない。

 このままアカギに会いにいって、正式な申し込みをして婚儀を決めてしまおう。

 内心、ルカワは勝手に算段している。

「オレのヨメになれ」

「……てってめーが領主の息子だろうとっ、オレ様はてめーみてーな

エロギツネのヨメにゃなら

ねーっ!」

 ドレスのスカートをぎゅっと握りしめたハナミチは、相手の顔を見ずに怒鳴った。

「なれ!」

「ならねーっ!」

「なれ」

「ならねーっつってんだろーがっ!」

「にゃろー……」

「!」

 相手の苛立った声に、赤毛の姫はびくりと肩を震わせる。

 あまりにも自分が強情だから、嫌われただろうか?

 そのほうが都合がいいはずなのに、ズキリと胸が痛む。

「……てめーなんて顔してやがる」

「あ?」

 その直後、足を速めて近寄ってきたルカワの両手が腰のくびれのあたり

をつかんで。

 叫ぶ間もあたえず、純白の馬の背中に乗せられてしまう。

「なっなにしやがるっ!」

「ヨメの話はあとでゆっくりする。んな泣きそーなくれー痛ぇの我慢すん

じゃねー、どあほう」

 黒髪の騎士は、詩人に歌われるほどの美姫が表情をゆがませているのは

足の痛みのせいだと

誤解していて。

 とにかく、相手を城に送り届け、手当てをしなければと思い立ったのだった。

「よ、よけーなお世話だっ!」

 背後にやってきて手綱を引いた男に、赤毛の姫はまた意地を張ってしまった

のだけれど。

 激しい動悸のせいで、声が震えてしまった。

(くそっ、変だぞっ! どーしちまったんだオレ様はっ!)

 その内心の戸惑いをよそに、純白の馬はアカギの居城へと近づいていく。

 城の中は、すでに日常茶飯となってしまったじゃじゃ馬姫の脱走劇にいささか

騒然となっていたが。

 トミガオカの領主とともにハナミチが戻ってくるなり、、収集のつかない

大騒ぎになった。

 ルカワの求婚が成功に終ったか否かは、もはや語るまでもないだろう……。















【流花堂】の風都海月様から頂きました。
キリバン(1600)のリクエストは「ハーレクイン」でした(笑)
ちなみにこれは【流花堂】様発行の流花本
『GIFT RED』にも収録されています。
お姫様花道と騎士の流川。も、萌え〜!(笑)



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