遠 雷








『あの、流川さん。大変申し訳ありませんが、今回の採用は残念ながら見合わせ、ということになりましてですね…』


ふぅ…。
もう何度目だ?毎度毎度判を押したように聞かされる同じ言葉。面接の時には手応えはあったと思っていたのに何が悪くて尽く不採用なのだろう。書類審査で落とされないだけマシと思えと言うのか。

流川は幾度となくため息をつきながら停留所に到着したバスに乗り込んだ。
昼下がりの車内は座席はそこそこ埋まっていたが、小さい子供を連れた買い物途中の主婦か年寄りくらいしか乗っていなかった。一番後ろの席に座り、のろのろと進んだり止まったりを繰り返すバスの窓から、自分にはカラーレスな街並みをぼんやりと眺めていた。
こうも不採用が続くと、なんとかギリギリで大学を卒業した後深く考えずすぐに就職した会社で、つまらない意地を張り上司に啖呵を切って辞めてしまったことを後悔していないかと言えば嘘になる。が、数年勤めても愛着すら湧かない会社にあれ以上いても仕方がなかったのだと諦めて面接に臨んでいるのに。
元々あまり饒舌な質ではなく人との付き合いも苦手で、対人の仕事や営業なんか全く向いていないから、自然、職種は内勤のみに限られてしまう。このご時世、専門系のオペレーターや研究者なら何とかなっても、男子の内勤職で一般事務などというのはありえない。生憎流川の持っている技術と言ったら、学生時代多少名を鳴らしたバスケットくらい。資格と言えば普通運転免許しかない。ちっとも飯の足しにはならなかった。


窓の外に見えるのは、取引相手なのか頭を下げながら携帯で話し込むサラリーマン、書類袋を抱えて急ぐ制服姿のOLたち。たったガラス窓一枚隔てただけでこれほども変わって見える世界。車内に目を移せば、幾分くたびれたスーツに安物のネクタイ姿なのは自分だけ。偶々なのだろうが、そのことが流川を一際孤独に感じさせ、もう一度大きなため息をつかせたのだった。

停車したバスから一人二人降りて行くのを横目で見ながら、また一から就職先を探さなければ、どこかで昼を食べながら情報誌を漁るしかないな、流川はなんとなく次でバスを降りようと思った。
ふと窓の外に目線が移った時。

その視線の先、いきなり飛び込んできた場違いとも思える色。
モノトーンにしか見えなかった街並みの中の鮮やかな赤はスーツ姿には凡そ似つかわしくはない色。
しかしその赤の持ち主は、輝くような笑顔で側にいる人間と会話していた。生気に溢れた笑顔に赤が良く似合っている。

咄嗟に席を立ち上がると流川は転がるようにバスを降り、そのままの勢いで走り始めた。ゼッテェ見失うもんか。目だけはしっかりとあの赤を追いかけていた。
赤の持ち主が吸い込まれて行った先を確かめる。

「今の、赤い髪の男は誰だ?」
気づいた時にはそのビルに駆け込み、受付の女の子に尋ねていた。息を切らし駆け込んできた名前も名乗らない男に不躾な質問を浴びせかけられたにも拘らず、受付嬢は流川の顔を見るなりぽぅっとしてしまい、本来ならば丁重にお引取り願うのに、ついつい答えてしまっていた。
「あ、あの、へ、弊社常務の、桜木花道、です」

「サクラギハナミチ…」
流川を一瞬のうちに捉えて離さなかった赤の持ち主の名。心はもう決めていた。何が何でもこの会社に就職してやる。


数日後。
どこをどうやって何を理由に決めたのかは人事担当しか判らないことだが、流川は件の会社に採用された。ゴリ押しで面接の約束を取り付け、これまでにないくらい熱心に自分を売り込み食い下がった結果だった。おそらく、今までの就職活動はちっとも身が入っていなかったのだろうと思える。そこを見抜かれて不採用続きだったことは当の本人はこの先ずっと気づかないであろう。
しかし、せっかく採用されたのに流川は一度も桜木花道には会えないでいた。それもそのはず、相手は常務だ。いつでも社内をプラプラしている身分ではない。
不純な動機で入社した分、目的の人物を目に出来ないイライラが募る。社内研修と称した数日の缶詰め地獄も流川の苛立ちに拍車を掛けた。

そして、その地獄から漸く開放された流川が配属された先は何と、秘書課だった。



*


ちらりと見上げた時計は、午前9時の15分ほど前を差している。

リッチな設えのオフィスルーム前。オーク製の重厚なドアをノックもせずに酷く無愛想に男が入っていった。すらりとした体つきでダーク系のスーツを身に纏い、サラリーマンではなくモデルと言っても通用しそうな雰囲気だ。
男は手馴れた手つきでデスクの上のボックスに未チェックのものがないか確かめた後、手に持っていた書類を数種仕分けしながら入れていく。チェック済みの書類は簡単に揃えられボックスごとデスクから下げられる。それらは流れるように手早く済まされた。最後にデスクトップを起動させる。

男から遅れることほんの数分。またもやノックもなく背後のドアが開き、誰かがガツガツと遠慮なく、大股で部屋に入ってきた。
「オハヨウ、ゴザイマス」
先にいた流川が軽く頭を下げ挨拶をすると、
「おう、おはよう」
と後から来た方がデスクの方に向かったまま声だけで返した。
「今日のスケジュールだけど…」
「ルカワ!だけど、じゃねぇ、ですが、だ。それと今日はじゃなく本日。何度言っても覚えねぇなあ、おめーは」

アヤコさんにちゃんと教わったんだろうがよ、とブツブツ言いながらドカっと革張りの椅子に腰掛けたのはどうやら流川の上司らしい。年の頃は二十代後半、二人とも同じくらいだろうか。体格も同じくらいで長身だが、流川は無造作に伸ばしたやや長めの黒髪がサラリーマンらしからぬ風貌で、もう一方の上司らしき方は更にサラリーマンには見えない真っ赤な髪を短めに調えた出立ち。

「モウシワケアリマセン、常務」
しぶしぶ謝罪の言葉を口にした流川の上司はあの桜木花道だった。
「おうよ、わかりゃいい。そんで?予定は?」
既に起動してあったデスクトップにパスワードを入れながら花道が急かすと、デスクの前にずいと進んだ流川は慌てて続けた。
「ホンジツ、午前中は10時から定例会議、第一会議室で一時間の予定、昼は12時30より海南商事の牧常務と会食を兼ねた打ち合わせ、午後は三時から新プロジェクトの企画会議…」
そこで報告が途切れた。
「…じいと昼飯の後はまた会議かぁ。ん?後はねぇの?ルカワ?」
促され、手元の手帳に目を向けたままくっと唇を噛んでいたのを緩め、そして心持ち忌々しそうに言葉を続けた。
「…夜は八時からセンドートレーディング主催のパーティー…」

「ああ、そーだった。今日はセンドーとこのパーティーがあんだった。ルカワ、おめぇも出ろよ」
夜出かけるのはちょっとメンドーだなと思いながらそう言うと、花道はちらりと流川の方を見た。
流川が手帳を閉じる時にちっと舌打ちしたのを花道は聞き逃さなかった。は、と小さくため息を吐き、長い前髪に隠された瞳の奥を覗くように流川の顔を見つめた。相手はじとっと睨むような視線でこちらを見下ろす。
「ったくー。仕事なんだからよぉ。仕方ねぇじゃねぇか。どうしてそういつもいつもセンドーを目の敵にするかなー」
不機嫌さを顕わにした流川を、言い訳じみているとは思いながらも一応宥める。
「センドー…アイツはやたらとてめぇにベタベタ触りたがる…それに…」
ぐっと体をデスクの上に乗り出した流川の男にしては白く長い指が、一瞬逃げ損ねた花道の顎を捉えた。
「てめぇは愛想笑い振り撒き過ぎ」
「そりゃ仕事だか…」
目の前に一層怜悧さを増した端正な顔が近づいて、反論しかけた花道はうっと詰まった。

「んでもオレはガマンできねー…」
と、更に反論しようとした花道の言葉を閉じ込めるように流川が唇を重ねてきた。しばらく重ね合わせていた唇をそっと離すとまた重ねては離れ。離れた隙を見て花道が怒った。
「ルカっ!」
「ダイジョーブ。まだ始業前。プライベート…」
怯むことなく返ってきた言葉に呆れた花道が目を閉じたのを合図に、流川が花道の唇を上唇から下唇と舌でなぞり、ちゅっちゅっと交互に啄ばんでくる。そしてそれを数度繰り返したあときつく唇を吸い上げた。
息ごと持って行かれるような口付けに苦しくなった花道の口がほんの少しだけ隙間を開けると、すかさず流川が舌を割り込ませる。じっくりと丹念に歯列の裏も表も舐め上げると、奥に閉じこもろうとするものを絡め獲り引きずり出す。
角度を変え右に左に入れ替わりながら逃げる舌を追いかけ執拗に攻めてくる流川のキスに、もう花道も観念したらしい。逃げるのをやめ舌を絡ませてやる。片手で流川の頭を抱え込みもう片方の手で滑らかな頬を撫でてやった。

突然相手の反応が変わり、こちらの思惑通りに事が運んだと流川はほくそ笑んだ。流川も花道の頭を抱え返してやる。こうなったらお互いに痺れるまで堪能することを止めない。
次々と快感とともに送り込まる飲みきれない唾液が、細い軌跡を描きながら花道の口角から溢れゆっくりと流れ落ちる。
時折花道が漏れ出させる吐息は甘さを含み、粘着質な水音と一体となって流川の耳に溶けていく。それらは花道の耳にも届いていた。自分の出す声が恥ずかしいのと快楽の波が押し寄せるのとで、頭の中がぼうっとなり瞼の裏が白く霞んでいくのがわかる。


スピーカーから始業のチャイムが流れる。

しかし何も考えられないほどキスに酔う二人の耳にはまるで、遠くで響く雷のように聞こえるだけだった。















【Azzurro e Marina】の遥貴様から頂きました。キリバン6000を
踏んだのでリクエストをさせて頂いたのですが、ほとんど迷わず
「リーマン流花で!」とお願いしてしまいました(笑)とってもマニ
アックなリクにも関わらずこんなステキな萌え小説を書いて下さっ
て…!花道がエリートというところがツボでした(笑)テーマは
下克上だそうで、しかも今後もこの2人のお話が読めるそうです!
ブラボー!遥貴さん、ありがとうございました!



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