【ラブポップ】 (1)
「ん〜……」
もぞもぞと布団の山が動いたかと思うと、そこからのそのそと赤い髪が這い出してきた。
「あれ…るかわぁ?」
舌たらずな声の後、ふあ〜…、と一つ大欠伸。
目蓋を擦り隣に居るはずの気配を手で探るが、すでにシーツには温もりすらない。
「んだよ……もう起きたんか……ぁぁぁああああ!」
大絶叫と同時に跳ね起きた花道は、自分が素っ裸なことに気付き大慌てで服を着てリビングへ駆け込んだ。
「チューッス!」
「あ、おっはよー花道!」
「どあほう」
笑顔の黒髪美女と、その向かい側のソファには一緒に眠っていたはずの男が座っている。
「彩子さん!すんません俺っ!」
「いいのいいの」
「っつーか、流川!起こせよ!」
「朝からうるせぇ。怒鳴るな」
ふぅ、と溜息をつくと流川と呼ばれた青年は愛用の眼鏡越しに花道を見ると「とにかく座れ」と自分の隣へ促した。
「ぬううう……」
花道が座るのと同時に立ち上がった流川はキッチンへ向う。
戻ってきたその手には砂糖とミルクがたっぷりのコーヒーが入ったマグカップ。
「サンキュ」
それを受け取るのを見ると、彩子がテーブルの上にあった紙袋を花道へ勧めた。
「これ、今あたしがハマってるベーグル。最高に美味しいから!」
「うわ!どうもっす!」
花道は早速袋の中から大きなベーグルを取り出した。
「これ付けると美味いぞ」
「ん?クリームチーズ?」
「そうそう。あとはハムとか挟むと良いわよ」
後で試してみて、と彩子が笑う。
「すんません、こんな差し入れまで……」
「こっちこそ!ごめんね、こんな朝早く。人様の家を訪ねるには早すぎる時間なのに……」
ただいま朝の8時。
確かに訪問時間としてはいささか早すぎる。
「どうしてもこの時間しか来れなくて……」
心底すまなそうにする彼女へ、花道も逆に恐縮してしまう。
「平気っすよ!この時間は起きて仕事の準備してる頃だし」
「寝坊したじゃねえか」
「うぐっ!流川!大体お前が夕べ……」
「夕べ……なんだ」
「夕べ……どうしたの?」
詰まった花道を覗き込む流川と彩子。
「ぐぬぬぬっ」
頬を赤くして言いよどむ花道を見て流川が肩をすくめ彩子が笑う。
「仲が良いのは良いことよ!」
「べ、別に仲良くなんか……」
そう言うと流川がじーっと花道を見つめた。
「だあー!もう!こっち見んな!」
流川の顔をぐいーっと押し返す。
「どあほう」
その拍子にズレた眼鏡を直しつつ、流川はほんの少し口元を緩め花道を見る。
一方花道は顔を赤く染めたまま、照れ隠しに大きなベーグルへ齧りついた。
「そう言えば、花道ってここに来てどのくらい経った?」
「ふえ?」
「2年だ」
彩子の問いには流川が答えた。
「もう2年も経つ?そっかぁ。もう、とも言えるし、まだ、とも言えるわね」
コーヒーを啜る流川の横でモグモグとベーグルに齧りつく花道を面白そうに眺めると、彩子は感慨深げに「月日が経つのは早いものよねえ」と呟いた。
流川は今年23歳になる漫画家だ。
ジャンルはボーイズラブである。
人気作家が次々出てくるこのジャンルにおいて、男性作家が活躍しているのは珍しい。
流川はオリジナル同人サークルからプロデビューを果たし、現在では連載を月一、隔月で他誌へ寄稿、そのほか小説の挿絵等も行なう程のいわば売れっ子である。
作風はあっさりした描線と、淡い色使いの意外にも繊細なカラーイラストに加え、内容は画面がシンプルな分、奥深い読後感を与えてくれる一度読むとクセになるものになっている。
そして作家自身の容姿も、人気の一つなのはまず間違い無いだろう。
男性だと隠しているわけでは無い。
そして男が描くBLなので確かにそれだけでも十分話題性はあるが、それを凌駕する作風の力がやはり何よりも大きいのだろう。
男性ならではの視点と、そして生々しさを残しつつ、女性向にボーイズラブとして男同士の愛を昇華し、一つの作品に仕上げている点が、やはり人気の秘訣かもしれない。
「大雑把なスケジュールだ、見とけ」
そう言って花道の前へ一枚の紙を差し出した。
「ごめんね、そんな箇条書き状態で。時間無くてちゃんと用意出来なくて」
「カラーの仕事が結構入ってきたから、年末年始はゆっくり出来ねえかも」
それを受け取ると花道はざっと目を通した。
確かに雑誌の表紙、巻頭カラー、扉、更にはイラスト集発売の予定まで入っていた。
「すげ!イラスト集出して貰えんだ!」
「念願だったのよねえ!リクエストも多かったし、満を持してってところかな」
彩子も嬉しそうだ。
「電話では企画が通りそうだ、とは言っておいたけど。ようやく本決まりね」
あらかじめ来年か再来年辺りにイラスト集を出せるかもしれない、ということは聞いていたが、いよいよということか。
花道も思わず顔が綻ぶ。
そういえば、と彩子が顔をあげた。
「今年も色紙、お願いね」
「ああ、分かってる」
読者プレゼントで、色紙へカラーイラストを描いて当選者の名前を入れてプレゼントする文字通り一点物だ。
毎年流川への応募は一番希望者が多い。
「あ、ドラマCD!」
「そうなのよ!それもやっと決まったの!」
紙には流川の人気作『ある男の悲劇』がドラマCDになると記載されてあった。
一つ前に連載していたシリーズ物で、現代の高校に勤める教師が主役のラブコメである。
ごく普通の高校教師である主人公(攻)のところへある日少年(受)が転がり込んでくる。
その少年は実は芸能人で……という、内容だ。
単行本は2巻で完結しているが、続編を望む声が今も多い。
ちなみに現在連載中の話は大学生が主人公のシリアスな話である。
アンケートでも毎回上位で今月号から図書カードの全プレも始まっている。
花道は更にその下の予定へ目をやった。
「あ!この挿絵って、この前言ってた……」
コーヒーを啜っていた流川がふと顔を上げる。
「ああ、松井先輩だ」
松井という女性は流川が同人作家時代から親しくしている小説家である。
シリアスからコメディまで書けるオールマイティ作家で、その作風はなかなか特徴的だ。
読みやすい文章と入り込みやすい設定や雰囲気により、出す本は必ず売れて、ファンも多い。
あらゆる出版社から声がかかり、ドラマCD化作品も多数ある。
仲でも一番人気なのは『弁護士シリーズ』でいわゆるリーマンものだ。
ちなみに現在も連載中である。
先月、シリーズ最新作第5巻が発売になったばかりだ。
流川はデビューしてから参加していないが、松井はデビュー後もコミケへ参加してオリジナル同人誌を発表している。
プロとしては彼女の方が先輩にあたり、常にBL小説部門でトップを走っている人物である。
「久しぶりに挿絵を頼みたいって話があってね」
今回は王子×庶民の王道的な内容になるらしい。
「この前飲みに行った時にチラッと言ってたからな……」
その場に同席した花道はその時のことを思い出した。
気さくでさばさばしていて、良く笑う面白い人だ。
流川と花道の関係を知っている数少ない女性で、偏見も無く見守ってくれている。
女性を神聖視し、どうしても一線引いてしまう花道も素で向かい合える女性の一人だった。
そういえば………とふと彩子を見る。
このBLに携わっている女性達は皆、とても気さくで偏見も無く接しやすい人ばかりだ。
「なに?」
「あ……いや、なんでもないっす」
「??」
不思議そうにする彩子になんでもないと笑い、ここはやっぱり凄く居心地が良いな、とこっそり思った。
「あ、いけない!もうこんな時間!あたし、もう行くわ!ごめんね!朝早く!」
聞くと、この後も数件、午前のうちに顔を出さねばならない場所があるそうだ。
今日はどうしてもイラスト集とドラマCDの件を直接伝えたかったらしい。
「来週〆切あるけど、この調子だと間に合いそうね」
「それは勿論心配ご無用っす!天才にかかれば!」
「どあほう」
傍らで「誰が描くと思ってんだ」と呟く流川と「俺が超速攻で背景やるからだ!」と言い返す花道。
そんな二人を見て吹き出すと、彩子は「それじゃお邪魔しましたー!」と爽やかに去って行った。
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