【恋火】
  番外編  手のひらの体温









 いつものカウンター席で、いつものようにグラスを傾けていると、花道が言った。

「そういえば流川の誕生日って確か1月1日だよな」

「あぁ」

「そうか……」

「なんだ?」

 花道を見るとグラスを磨く手が鈍り何か思案している様子だった。

「何か欲しいもの、あるか?」

「欲しいもの?」

「それか、食べたいものとか行きたいところ」

「………」

「俺が選んでも良いけど、何か欲しいものがあればそのほうが良いだろ?」

 言われて今度は流川が思案する番になった。

 聞かれるとは思っていなかったので、何も考えていない。

「まぁ、すぐ思いつかなくても良いよ。あとで教えてくれれば」

 そう言って笑うとグラスをまた磨き始めた。

 その様子を見つめていた流川はふとあることを思いついた。

「行きたいところなら、ある………」

 行き先を告げられた花道は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「んじゃそこに決まりだな」







 



 深夜の境内はかなり混雑していた。

 除夜の鐘が夜空に響き渡る。

「予想はしてたけど、ほんとにスゲーなこれ……」

「あぁ……」

 行きの渋滞に幾分辟易しつつ、流川は運転席から降りた。

 流川が行きたかった場所とは初詣だった。

 選んだ場所は、有名な神社である。

「ホントにこれで良いのかよ、誕生日なのに」

「良い。十分だ」

「他には?」

「何も」

 そう答えると、ちょっと呆れたようなため息をこぼした花道に、流川は
小さく口元を緩め、彼の背をそっと促した。





 


 賽銭箱まで並んでいる間に丁度年を越した。

 まさに人の頭の上から賽銭を投げ入れ、流川は花道の手を取り息苦しい
その行列を早々に抜け出した。

「あ、ちょっと寄って良いか?」

「ん?あぁ……」

 いそいそと花道が立ち寄ったのはお守りやお札などを頒布する授与所だ。

 色とりどりのお守りやお札、破魔矢に達磨などが所狭しと並べられていた。

 花道は何やらお守りを買ったようだった。

「おみくじ、流川もやるか?」   

 楽しそうに笑う花道の顔を見て、流川も珍しく頷いた。

 引いた番号の紙を貰うと、二人とも大吉だった。

「おお!さすが天才!」

 花道は本当に嬉しそうだった。 

「おみくじなんて、何年ぶりだ………」

 おそらく学生の時以来だろう。

「良かったな!」

 そう言って花道は顔をくしゃっとさせて笑う。

「………」

「流川?どうした?」

「あぁ…いや…今年はきっとツイてるな」

「当然!」

 花道は笑いながら木の枝にそれを結んだ。

 流川ももう一度自分の紙を見つめ、やがて手近な枝へ巻きつける。

(夢じゃない……)  

 こんなにもすぐそばで自分へ向けてくれた笑顔に一瞬目を奪われてしまった。 

 誰に向けたものでもなく、自分の為だけにくれたその顔がこんなに傍に
あることがまるで夢のようで、流川は思わず瞬きを繰り返す。

 隣で寒そうに肩をすくめる存在は決して幻ではないと、今更流川は実感していた。









 初詣を無事に済ませたのでそろそろ帰ろうかと歩いていると、流川の目の端に
あるものが映った。

「……桜木」

「ん?なんだ?」

「甘酒……飲むか?」

「甘酒?どこにあるんだよ」

「あそこで配ってるらしい……」

 流川の視線の先にはいくつかのテントがあり、白い湯気がもうもうと立ち昇って
いるのがよく見える。

「タダで飲めるらしいぞ」

 どうする?

 再び訊ねると、今度はイエスと即答する。

 マフラーに顔を埋めつつ頷いたその姿は本当に寒そうだ。

「分かった。ちょっと待ってろ……」

 甘酒の列は少し並んだが、それでも熱めの甘酒を紙コップへ注いで貰うと、
流川自身にもかなり暖が取れた。

 心持ち急いで戻ると、花道は近くにあった大木の根元で待っていた。

「あれ?流川の分は?」

「一応車だからな」

「あぁ、そうだっけ」

 そう答えると、花道は「俺だけ悪い」と小さく謝った。

「帰りにコーヒーでも買うから、気にするな」

「おう」

「冷めないうちに飲んだほうが良い」

「んじゃイタダキマス」

「どうぞ」

 少し息をふきかけ冷ました後、花道が一口啜る。

「美味いか?」

「美味い!」

「そうか…良かった」

 これで少しは花道も暖まってくれると良いが。

 そんなことを思いつつ境内を見渡すと、設置された大きな焚き火の火の粉と
共に、テントから立ち昇る白い湯気も見える。

 相変わらず人は絶えずやってきて、賑わいが増している。

 新しい年に願いを込めてやってくる人たちは、皆とても楽しそうだった。 

「あ、そうそう。流川」

「なんだ?」

 木に寄りかかり人込みをなんとなく眺めていた流川は呼ばれて隣を振り向いた。

 差し出されたのは白い小さな袋。

「やる」

 そう言ってずいっと寄越されたそれを受け取る。

 裏返すと神社の名前が朱色で記されてあった。

 中から出てきたのは紺色のお守り。

「誕生日だからさ」

 お祝いに。

 そう言って花道が笑う。

 流川も思わず笑みがこぼれた。

「無病息災か」

「おう。俺も一つ買ったぜ」

 甘酒を飲み干しカップをクシャッと潰すと、近くにあったゴミ箱へ捨てた。

「やっぱ健康第一だからな」

 笑いながら歩き出したその背中へ「ありがとう」と告げると、花道は振り返って
「誕生日おめでとさん」とまた笑う。

 流川は手の中に収まるそのお守りをそっと一撫でし、コートのポケットへ仕舞った。












 車の中はとんでもなく寒かった。

 だがとりあえず外にいるよりは幾分マシな気がする。助手席を見ると花道は
またマフラーに顔を埋めていた。

「時間あるし、少し暖まるまで待ってようぜ」

「そうだな」  

「なんか、甘酒飲んだから結構暖かい気がする」

 そう言って花道が流川の手を掴んだ。

「な?暖かいだろ」

「あぁ……」

 流川の冷たい手に花道の体温がじんわり沁み込んで行く。

「お前の手、冷たいなぁ」

 あまりの冷たさに驚いたのか、今度は両手で流川の手を包んでくれた。 

「こんなに冷たくちゃハンドル握れないだろ」

 そう言いながら少しかさついた花道の暖かい手に包まれて、流川の手は
指先からジンジンと熱くなってきた。 

「そっちの手も寄越せよ」

 言われてもう片方も花道へ預けた。

 車の中も次第に温まってきたようだ。

 寒さの為か無意識に強張っていた体がゆっくりと解れていく。

(暖かい……)

 流川はすぐそばにいる花道を見た。

 ほんのり耳と頬が染まっている。

 照れているのか寒いのか。

 どちらにせよ流川はそれを見て愛しい気持ちが溢れそうになる。

 充分温められた自分の手を取り戻し、今度は花道の手を捕まえた。

「流川?」

「………」

 花道の暖かい大きな手。

 自分と同じ大きさのこの手に、こうして触れることが出来る。

 当り前のように体温を分けてくれたこの手が、こんなにも近くにある。

 ほんの少し前まではそばに居ることでさえ、諦めかけていたのに。

 この臆病で情けない自分を受け入れてくれた花道へ、いくら感謝してもし足りない。 

 この気持ちを知った自分は、もう花道から離れられない。 

 そばに居ることを許されたこの身は、もう花道無しでは駄目だから。

 そう思うと流川の体は自然に動いていた。

 花道の暖かい手を両手で包むと、その甲へ口吻けた。

「今日はありがとう……」

 静かにそう告げると、花道は少し驚いたようだが、ちょっと笑って頷いた。







 

 走りだした車は想像していたよりも渋滞に嵌まらずスムーズに進んだ。

「うちに帰ったらちょっと寝ようぜ」

「そうだな」

「明日は、じゃなくて今日は、のんびりするぞ」

「店はいつから開けるんだ?」

「ん?4日の予定」

「それならゆっくり出来るな」

「流川はいつ帰省するんだっけ」

「週末にでも、顔出して来ようかと思っているんだが……」

「どうした?」

「………いや、何でも無い」

「?」

 不思議そうな顔をする花道を横目に、流川は内心溜息をついた。

 毎年、年末年始は必ず帰省していたのに、突然それを辞めてしまった。

 当然理由を聞かれたが、仕事だと言ってしまった手前、週末に帰るのが
少しだけ気まずい。

 けれど、実家で飼っている犬の写真を花道に見せてやる為にもやはり一度
家に顔を出さなければならない。

「ペロの写真、持ってくるから」

「そうそう。確か顔をペロペロ嘗めるのが好きなんだよな」

 花道は面白そうに言う。

「俺、犬も好きだなー」

 そう続ける花道に流川は小さく笑う。

「フタバとソラが聞いたらどう思うだろうな」

「アイツらならきっとすぐペロとも仲良くなるぜ」

 そう得意げに言う花道へ流川も思わず納得してしまった。

 確かにあの二匹なら、きっとすぐ仲間として受け入れてくれるかもしれない。 

 そんな取り留めの無い会話をしていると、何時の間にか花道の返答が鈍く
なってきた。

 赤信号で停止している時に隣を見ると、流石に疲れたのか花道は眠っていた。

「………」

 流川は細心の注意を払って車を走らせる。

 花道の眠る姿が、この穏やかな空間を作り出している。

 それがとても心地良い。

 今日、流川の願いを聞いてくれた花道へ、今度は自分が願いを叶える番だ。

 去年は、当日に誕生日を知ったので何も出来なかったが、今年は花道の
思う通りに過ごそう。

 どこかへ旅行しても良い。

 欲しいものがあれば用意しよう。

 花道の為に何かしたい。

 花道の為に何が出来るだろう。

 そんなことを考えるだけで気持ちが浮き立つようだ。

 今の自分は、きっと誰よりも幸せだ。

 誕生日を迎えて嬉しいと思う歳ではもう無いけれど、今日は素直に嬉しいと思える。

 花道が居る、たったそれだけで。 

 流川は小さく口元に笑みを浮かべ、そっとアクセルを踏み込んだ。




END









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