【恋火】  2.ソラマメ








 ニャーと花道の足元でソラマメが鳴いた。

「なんだ?ソラ」



 ニャゥ……



 ソラマメはまた鳴いて、今度はカウンターを回りこみ流川の足元で鳴いた。

「……」

 無言で頭部を撫でると、そらは鼻先を流川の指に擦りつけ、別の客の足元へ歩いて行った。

 女性客の足元へそっと座り込むと、その女性は屈みこんで軽く背中を撫でた。

 するとナゥ…と鳴いて、床に伏せたまま目を閉じた。

 その様子を見ていた流川が、花道に向き直った。

「ソラは人気者だな」

 そう言うと、花道は笑う。

「ソラマメはうちの看板娘だから」

「看板娘……」

「美人だろ?」

「……………」

 確かに毛並みも良いし、気立て(?)も良い。

 スタイルも、声も綺麗だ。

「確かに………」

  口元を緩めた流川は、ふっと湧き上がった疑問を花道に尋ねてみた。

「しかし、どうして”ソラマメ”なんだ?」

 いくらなんでも看板娘ならもっとそれらしい名前があっただろうに。

 すると花道は一瞬きょとんとしたが、その後軽く肩を竦めた。

「”ソラマメ”に初めて会った時、手元に”そらまめ”があったんだって」

「?」

 怪訝な顔をする流川に、花道が話して聞かせた。

 なんでも、花道の叔母に当る双葉がリビングでそらまめの皮を剥いていたら、窓の外からこちらを見ている猫と目が合ったのだそうだ。

 猫は逃げることも無く、じっと叔母を見ていたらしい。

 叔母は引き寄せられるように窓を開けて、その猫に近づいた。

『………』

『………』

 目が合っても逃げないその猫と叔母は、その時確かに心が通じ合った。

 首輪もしていなくて、汚れていたその猫に叔母は台所から持ってきたニボシをあげた。

 それが最初の出会い。

 それからいつもご飯を食べに来るようになったその猫に、叔母は『うちの子になる?』と聞いた。

 するとその猫が『ニャー』と返事をしたから、名前を付けて飼うことになったそうだ。

 名前は、初対面の時に叔母の手元にあった”そらまめ”から取った。

「―――ってこと…」

「なるほど……」

 それで”ソラマメ”か………。

 流川が小さく頷いた。

「面白いよなぁ。叔母さん、いつもこの話になると言うんだよ。『私達は一瞬で心が通じ合ったんだ』って……」 

 でもソラマメなら、不思議は無いなぁ…。

 花道は笑いながら言った。

 確かにソラマメはとても賢い猫だった。

 人間よりも人間のことを理解しているような、不思議な猫。

 かけがえの無い、花道の家族。

 姉のような妹のような、大事な家族だ。

 目を伏せてグラスを拭いていると、花道は視線を感じた。

 流川が見ている。

 こちらをじっと見つめている。

 そういえば、流川はよく自分を見ている。

 そのことに最近気付いた。

 観察するような、そういう不愉快な視線では無い。

 もっと何か違うことを視線で伝えようとしているみたいな。

 少しだけ視線をあげて流川の様子を伺うと、とても深い感情をその目に映している様な気がした。

 優しくて、でも辛そうな、熱のこもった強い視線。

 花道はあまりぎこちなくならないように、慎重に顔をあげた。

「俺の顔に何か付いてる?」

 おずおずとそう聞いてみた。

「いや…何も…………」

「そう…か?」

「あぁ………」

 それじゃその視線の意味はなんだろう。

 花道は戸惑いつつ、グラスを拭き続けた。






 目を伏せてグラスを拭く花道は、とても穏やかな顔をしていた。

 誰を思ってそんな顔をするのか。

 問いただしたい衝動に駆られた。

 こっちを見て欲しい。

 今、目の前にいる自分を見てくれたら。

 顔をあげて、何もかも忘れて。

 穏やかな顔には、あの日口吻けた唇があった。

 うっすら開いた唇がとても綺麗だ。

 そんなことを思っていると、願いが通じたのか花道が顔をあげて流川を見た。

 ―――唇同様、綺麗な目だった。
 


ナゥ……



 何時の間にか流川の足元にソラマメが居た。

 流川はたまに彼女と目が合う。

 その時、彼女に考えを読まれているような気持ちになることがある。

 ―――たとえばつい先日もそうだ。

 花道がうたたねをしていたあの日。

 流川が来るのを待っていたかのように玄関で出迎えた彼女に導かれて向かった先には、ソファーで眠る花道が居たのだ。

(お前は全部分かっているんだろうな………)

 流川は心の中でソラマメに語りかけ、彼女の顎を撫でた。




ニャア

 

流川には、ソラマメが「勿論よ!」と得意げに応えたように思えて仕方なかった。
















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