【恋火】 4. 3日後
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臨時休業から3日後。
店はいつも通りに営業していた。
花道はカウンターの中でオーダーをこなしていた。
流川が泊まった翌日の昼に、予告通り電話が鳴った。
もう大分楽になった花道は、丁度昼食を取っていたところだった。
『具合はどうだ?』
「もう大丈夫だ。今、飯食ってる。後で薬も飲むし」
『そうか、良かった…』
「あ〜。世話になったな……」
『いや……、それより今晩も休めよ』
「…………」
沈黙で返す花道に受話器の向こうから溜息が聞こえた。
『まだ完治した訳じゃねーんだ。それに……客にうつす気か』
「うっ……」
『それに、今のうちに休まないと長引くぞ』
「おう……」
『今晩も様子、見に行くから』
「え?良いよ、もう寝るだけだし。ピンピンしてっから別に―――」
『………』
「あ、いやそうじゃなくて!そっちだってろくに寝てねぇだろ昨夜!
こっちはもう平気だから、そっちこそうちでゆっくり休めよ。な?」
『………分かった』
花道の言いたいことが伝わったのか、流川は渋々という声で答えた。
「あと、今晩は休むけど、明日は店開けるから」
『あぁ分かった。明日、行く』
そこで会話は終わった。
そして流川は今、花道の目の前にいる。
10分くらい前にやってきて、流川の手元にはすでにウォッカのグラスがある。
花道は流川の為に生ハムのカルパッチョを拵えたところだ。
「流川。これおごり」
笑ってそう言うと、流川は眉を少し上げた。
「もう大丈夫みたいだな」
「トーゼン!あれくらいでくたばる俺様じゃねーからな!」
「うんうん唸ってたクセに」
「ぬ!そ…それは…たまにはそういうこともある……」
「………もう腹出して寝るなよ」
「んなことしてねぇ!」
からかう流川に顔を赤くして反論すると、横から「子供ね、花ちゃん」と
常連の女性が笑いながら声を掛けてきた。
「違うって!流川、訂正しろ!誤解される!」
「違うのか?俺はてっきり……」
「流川!」
ムキになる花道が面白くて、客達はみんな笑みを浮かべている。
流川と花道のやり取りは客達も楽しんでいる節がある。
『さくら』は寂れているが、しんみりした静かなパブとは違う。
マスターの気質をそのまま反映しているので、賑やかで比較的照明も明るい。
そんな雰囲気の中で2人の存在はもう名物のようなものになっていた。
「でもホント、良くなって良かったな!」
客の一人がそういうと、他の者も頷いた。
「ここに来ないと一日が終わらない気がするからね」
「そうそう。家に帰ってもつまらないし」
「マスターは可愛いし」
別の客がそう言うと、みんなが『うんうん』と頷く。
「前の言葉はありがたく頂戴するけど、可愛いとか言われても嬉しくねえ!」
怒ってガシガシとグラスを拭くと、正面のカウンターに座る流川に気付く。
顔を伏せているが、肩が小刻みに揺れている。
「てめ!何笑ってんだ!」
すると流川はすまんと片手を上げた。
それを一瞥して鼻息荒くまたガシガシグラスを拭くと、そういえばと花道は手を止めた。
「流川」
「………なんだ」
もう笑いは収まったのか、流川はカルパッチョに手を付けていた。
「今度どっか飲みに行こうぜ。俺、おごるから」
「え?」
「いやさ。世話んなったから何か礼したいなぁと思ってよ……」
「そんなこと気にするな」
「俺が気にするんだ!ここでおごっても良いけど、そんじゃつまんねーしさ」
そういうと流川が提案した。
「なら…うちに来るか?」
「お前んち?」
花道は思いがけないことを言われたとばかりに目を見開いた。
「ついでに学生時代のビデオも見せてやれる」
前に見たいと言っていただろう、と流川が続けた。
そう言えばそんなことを言った覚えがある。
「そうだな。そんじゃ流川んちで酒盛りに決定!」
「酒盛りはいらないだろう」
「なんだよ、不満か?」
「どうせなら飯メインにしてもらいたいな」
「飯?」
「あぁ、一人暮らしだとろくなもの食えないからな」
「それは俺に飯を作れと言ってる?」
「そうだな……作ってくれたらありがたいと思う。材料費は勿論出す」
花道はにやっと笑った。
「材料費はいらねー。全て俺がセッティングしてやる!
そこまで言われちゃ、作ってやりましょう、この天才桜木さまが!」
「調子に乗るな」
釘を指す流川もどこ吹く風。花道は上機嫌で尋ねた。
「食いたいものがあればリクエスト受け付けるぜ。食えないもんとか」
「食えないものは無い。全部任せる」
流川の答えに満足そうに頷く。
「飯食った途端、あまりにも美味くて泣くなよ?」
そう言うと流川は「言ってろ」とばかりに口の端を持ち上げた。
「次の休みは……××日だな」
「その日ならこっちも予定は無いから大丈夫だ」
「んじゃ日程はそれで良いか。あ、俺、お前んち知らないんだ」
「俺が迎えに行く」
「そうか?助かるぜ。んじゃその時、ついでに買物して行けば良いな」
予定が決まると、花道はまた言った。
「絶対泣かせてやるからな、覚悟しとけよ」
悪巧みでもするようににやりと笑う花道へ、流川は薄く笑みを浮かべて楽しみにしていると答えた。
伏せた目に一瞬浮かんだその笑みがあまりにも柔らかくて、花道はドキッとした。
その笑みは、見舞いに来てくれた時に見たものとまるで同じ気がしたのだ。
どうしてこんな笑みを見せるのだろう。
花道は鳴り止まない心臓を持て余して、わざとらしくならないようにそっと視線を逸らす。
そんな2人を店の隅から2匹の猫が、じっと見ていた。
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