【恋火】 2.名前
「おぉい、そこの兄ちゃん!あんただよ、あんた!」
花道とカウンター越しに話していた流川は、自分が呼ばれたことに気付き後ろを振り向いた。
「花ちゃんとばかりくっついてないで、こっち来てちょっと歌ってよー!なんだっけ?ほらあれ。も、も、モーニングセット?」
「それを言うなら【モーニング娘。】だよ!」
笑いながら機嫌の良い酔っ払いの相手をする花道。
「それそれ!それ歌ってよ、兄ちゃん」
人前で歌うことが苦手な流川が困惑気味に花道を見た。
「……歌えば?俺もあんたの歌、聞いてみてーなー」
にこにこと、わざとらしく笑う花道を軽く睨みつけ
「歌は苦手だから、勘弁して下さい」
と、後ろで声を掛けてくれた中年男に答えた。
「なんでぃ!良い若いもんが、歌が苦手なんて!よっしゃ!そういう兄ちゃんに見本を見せてやる!」
と言いながら、マイクを握ってカラオケステージに向かった。
「何だかんだ言って、自分が歌いたいだけなんだよ」
その様子を笑いながら花道が見送る。
「流川は歌苦手なんだ。俺は大好きだけどな!大声で歌うとストレス解消んなるし」
「……ストレスはバスケで解消してるから…」
「あぁ、なるほどね」
会話のBGMにチェッカーズの【ギザギザハートの子守唄】が流れ始めた。
少しばかり音程の外れた”藤井フミヤ”に笑いが起こる。
「花ちゃん、氷くれる?あとウィスキー一本追加で」
「おぅ、分かった。持っていくから座ってて」
カラオケを熱唱している男の連れなのか、中年女性がカウンターに寄ってきて花道に声をかけた。
「さっきはごめんなさいね。お話の邪魔をしてしまって…」
女性が申し訳なさそうに、流川に詫びた。
「いえ、大丈夫です」
小さく頷いて答えた。彼女は苦笑しながら席に戻っていく。
「ここに来てくれる人は、みんな良い人ばっかりなんだ。俺も随分助けて貰ってる」
そういう花道の横顔はおだやかで楽しそうだ。
「良く…分かる」
そう言った流川に、少し驚いた様子で花道は顔をあげた。
「何だ?」
「…いや別に」
花道はまた少し笑った。
ニャー
「おう、フタバ。何だ、飯か?」
仕事中の花道の足元に、子猫が寄ってきた。
ニャーンニャーン
「分かった分かった。ちっと待ってろ」
子猫に話掛けながら、キャットフードを器に盛って、ミルクを用意した。
「フタバって名前にしたのか」
「あ?あぁそう。良い名前だろ?」
「まぁな…」
「何だ?変な顔して…」
「……由来は何だ」
「由来…って、フタバの?」
流川はこくりと頷いた。
花道はしばし沈黙したが、やがて「元オーナーの名前」だと言った。
「元オーナーって、この店の…」
「そう。叔母さんの名前が双葉って言うんだ。だから付けた。メスだし丁度良いだろ」
「そうか…」
「流川?」
口元を掌で覆い隠し、目を泳がせていた流川は安堵の溜息と共にボソリと洩らした。
「好きな女の名前かと…思った」
「へ?!」
花道は目を丸くして、呆気に取られた。
流川は心なしか恥ずかしそうにして、ウイスキーが注がれている自分のグラスを傾けた。
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