【恋火】
  第3章  3.コーヒー








 花道の笑みに不安を感じたのは、これが初めてだった。

「……よう」

 そう言って浮かべた笑みは、見ているほうが不安になるほど寂しいものだった。

 久しぶりに会った花道が自分に見せた知らない顔。

 彼に促されるまで、流川の足が動かなかった。

 店内には誰も居ない。

 タオルを受け取ると、髪やスーツの肩を軽く拭いた。

「コーヒーでも飲むか?それとも酒にする?」

 既にカウンターの内側へ移動していた花道は、心なしか少し俯いていた。

「桜木」

「え?」

 名前を呼ばれてようやく顔を上げた。




 ―――久しぶりだな




 再会したら言おうと思っていたそんな言葉が上手く出てこない。

 花道から感じるほんの少しのよそよそしさ。

 やはり流川に会いたくなかったのだろうか。

 しかし、昨夜決めたのだ。

 どんな結論が待っていようと、花道へ会いに行くと。

「コーヒーにしてくれ」

「了解」

 花道は軽く笑ってコーヒーを入れてくれた。

 目の前に出されたそれからは白い湯気と共に豊な薫りが広がる。

 ソーサーには砂糖もミルクも乗っていない。

 流川がそれらを使わないことを知っているからだ。

 そういうことを当り前のようにしてくれる、そんな小さなことが流川にとってはとても嬉しい。

 花道が自分のことを一つでも知ってくれている。

 それだけが、流川を幸せにするのだ。

 コーヒーを一口啜ると、店内を見回した。

「今日は…やってないのか?」

「ついさっき閉店した」

「……さっき?」

「一応開けてたんだけど、誰も来ねーからさ。あ!でもこういうのは滅多に無いことだからな!」

 ムキになって言う花道へ流川は軽く首を傾げた。

「……確か、前にも一度あったな、そういえば…………」

「うっ」

 そう突っ込むと花道は言葉が詰まったのか、口を真一文字にした。

「初めて会った時も確かそうだった」

 そういうと、花道も渋々頷いた。

「俺も思い出した。丁度雨降ってるし、誰も来ないし。やっぱりあん時もコーヒー飲んでたよな」

 そう言って笑う。

 先程感じた寂しい笑みではなく、いつも見せてくれるこちらまで暖かくなるような笑顔だ。

 その顔が見れたことに流川はほっとした。

「あいつらは?」

「あぁ、そこにいる」

 軽く顎で示した場所には大きめの籠があった。

 中にはクッションが敷かれていて、その上に看板娘達が惰眠を貪っているのだ。 

 久しぶりに会う彼女達の顔が見たくなり、流川は席を立った。

 籠を覗くとそこにはソラマメの腹を枕にして眠るフタバの姿があった。

「重そうだな……」

 思わず呟くと、花道が何のことだろうとカウンターから出てきて、流川の隣に立った。

「たまにこうやって寝てるんだ、こいつら」

 そう言うと人差し指を伸ばし、フタバの耳を軽く突付く。

 すると突付かれた耳をプルプルと震わせ、伏せてしまった。

「……くすぐったいから止めろって言ってるんじゃないのか?」

「もしくは邪魔すんな!とか」

 笑みを浮かべる花道の赤い髪がふわりと揺れた。

「寝てる時に耳触るの好きだから止められないんだよなぁ」

 あのプルプル動くのが面白いんだ。 

 笑いながらカウンターへ戻ろうと背を向けた花道を、流川はほとんど無意識に引き止めた。 

 掴んだ腕から、その体が強張るのがはっきり分かった。

「あ……何?」

 振り返った花道は、少しぎこちない笑顔で体を離すそぶりを見せた。 

 流川は強く掴み引き寄せたい気持ちを抑え、花道を驚かさないようにゆっくりと手を放した。

「ホントによく降るな!昨日はあんなに晴れてたのにさ」

 花道は不意に生まれた気拙い空気を払うかのように、殊更明るく声を発した。

 掴まれた部分を押さえながらカウンターに戻るその後姿が、何故か無理に流川と花道の
間に壁を作ろうと必死になっているように見えた。   

 だから、そんな壁など壊してしまいたかった。




「好きだ」




 自然と口から零れたその言葉は、この静かな空間に低く響いた。

 一瞬動きが止まった背中は、まるで何も聞こえなかったかのように再びその場を離れて
行こうとした。

「桜木花道が好きだ」

 そう言うと、今度はその背中が笑みに揺れた。

「いきなり何言ってんだよ、脅かすなって」 

 そんなこと言っても何も出ねーぞ!

 明るい声で答え振り返りもせずそのままカウンターの中へ入る花道は、ひたすら流川から
離れようとしているようで。

 そんな風に壁を作り距離を置こうとする彼の態度がただとても、悲しかった。

「腹減っただろ?何か作るから」

 そう言って振り向いた花道の顔から、笑みが消えた。

「…………好きなんだ」

 おかしなことに、一度堰を切った思いは、もうそれしか言えない人形のように一つの言葉を
繰り返す。

 分かって貰いたい。

 流川楓にとって桜木花道がどういう存在なのか。

 そして、それを分かって貰う為には、この言葉が一番だから。

 どうか。

 どうかこの思いが伝わりますように。

 言葉を伝えるだけでは全然足りないから、流川はただ花道を見つめていた。

 想いの何分の一かでも構わないから、どうか伝わりますように。

 そしてほんの一瞬でも花道の表情を見逃さないように。

 彼をこの目に焼き付けて、そしてどうかこの想いが少しでも伝わるように。

「冗談なんかじゃない。それに……驚かせたり、怖がらせたりするつもりは無い。ただ、分
かって欲しいだけだ」

 静かにゆっくり言葉を紡ぐ。

「ずっと聞きたかった。………あの時、本当は起きてたんだろう?」

「………え?」

「ここで寝てた時……」

 流川は少しだけ目を伏せた。 

「キスした…あの時…」   

「…………」 

「あの時は、俺もよく分からなかった。でも、後でお前の様子が変だったから、
もしかしたら――って思ったんだ」 

 顔を上げて、花道を真っ直ぐ見据えた。 

「気付いてたのに、お前は俺を遠ざけようとしなかった。知らないふりをしただけだった。だから
俺はそれに甘えて、つけこんだ。知らないふりをされても、それでも良いから、傍に居たかった」

「…………」

「桜木が好きだから自分にもお前にも嘘は吐きたくない。頼むから逃げないでくれ。応えてくれ
なくても良い。嫌なら、気味が悪いならそう言ってくれ。……もうここへは、二度と来ない………」 

「………」

「この前のことも、謝らない」

 ブラジルには行って欲しく無いんだ。 

 流川は黙ったまま立ち尽くす花道へ、なおも言葉を尽くした。




「一緒に居たい」




 尽くす言葉の一欠けらでも、伝わってくれたら。

 もう今までのような友人には戻れない。

 進むしか、道は無いんだ。




「好きだ……」




 どうか、どうか―――。




「俺を、好きになって欲しい。好きになってくれたら、嬉しい。お前が欲しい………」

「………」

 流川は何も言おうとしない花道からそっと視線を逸らし、深く息を吐いた。

 パラパラと聞こえてくる雨音が静かな空間へ響く。

 カウンターへ視線をやると、そこにはすっかり冷めてしまったコーヒーがあった。

 ついさっき感じた小さな幸せが、跡形も無く消えてしまったような気がした。

 流川は疲れたように目を閉じた。














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