【恋火】 7.猫缶
気が付いたらコンビニで缶詰のキャットフードを買っていた。
そして気付いたら、パブ【さくら】の前に居た。
流川は何度も自問自答した。
――― 昨日の今日で、一体何しに行くんだ?
(猫の様子を見に行くだけだ……)
――― パブにコンビニの袋を下げて行くヤツがいるのか?
(これは昨夜の礼だ……)
……本当は会いたいだけだろう?
自分が自分へ、そう疑問を投げかけてくる。
自分はただ、雨に濡れていた猫の様子を見たいだけだ。
そして引き取ってくれた彼に礼を言いたいだけだ。
それ以上でもそれ以下でも無い。
流川はそう、自分に言い聞かせた。
「いらっしゃいませ」
扉を開くとカウンターには昨日の彼がいた。
赤い髪の桜木花道。
「あれ、昨日の……」
花道は軽く目を見開き流川を見た。
「昨日は助かった……」
そう言いながら流川はカウンターへ近づいた。
そして手持ちの袋を差し出した。
「何……」
「差し入れだ」
「…?」
袋の中を見て花道は驚いた。
少し重さを感じた袋の中には、缶詰の餌が20個程入っていた。
「これ……」
「餌代、ばかにならないから。足しにしてくれ」
「……サンキュ……」
花道は、戸惑いながら礼を言った。
そして立ったままの流川へ座るように促す。
勧められて流川はカウンタースツールに腰掛けた。
「何にする?」
「あぁ…水割りを」
「分かった」
手際良く水割りを作る花道を目で追い、そして店内を見渡す。
そう広くない店内は、照明が薄暗い。
昨夜とは違って、客が適度に入っているようだった。
「今日はお客さん、入ってるだろ?」
花道が店内を見回している流川に水割りを差し出しながら言った。
「昨夜は結構大雨だったからなぁ。あぁいう時もあるんだ」
いつもじゃ無いぞ。
ちょっと拗ねたように彼は主張した。
流川はそんな様子に唇の端を僅かに上げた。
「あの猫は…どうしてる?」
「あぁ。あそこ…」
「?」
花道が指差した方を目を凝らしてよく見ると、店内の隅に籠があった。
どうやらそこがベッドらしい。
暫らく見ていると、籠から何かがもそもそと頭を出した。
「猫?あのチビじゃ無いな……」
「あれはうちに元々いるヤツ」
「もう一匹飼ってるって言ってた?」
「そう。あの後ご対面したんだけど、すぐ仲良くなったぜー。あの通り、もう一緒に寝てるし」
花道はそう言いながら笑っていた。
「メスか?名前は?」
「名前はソラマメ。性別はメス。ついでに、性格は面倒見の良い姉御肌」
そして「子分が出来て嬉しいみたいだ」と続けた。
「……ソラマメ?」
そんな花道に、眉を少しあげて尋ねた。
それはもしかして………。
「そう。ソラマメ」
「って、あの?」
食べ物のことだろうか。
すると、飼い主はあっさり頷いた。
「………」
「何だよ」
「いや……変わった名前だと…」
正直にそう言うと、花道は苦笑いを浮かべて軽く肩をすくめた。
「普段は”ソラ”って呼んでるんだけどさ」
そう言った花道の顔を見ながら、流川は水割りを口に含んだ。
「そういえば…ええと、流川さんは………」
「流川で良い」
そう言うと花道はそうか?と首を傾げた。
「俺は桜木で良いぞ」
そう言って続けた。
「流川は、何か生き物飼ってるのか?」
「あぁ…実家で犬を飼ってる」
その答えを聞いて、花道が深く頷いた。
「やっぱり。どうりで生き物の扱いが上手い筈だ」
花道の脳裏には、昨夜子猫を抱えていた様子や、ソファで丸くなる子猫をそっと撫でる流川の様子が浮かんでいた。
生き物の種類に関係無く、普段から生き物に触れている者は扱い方に多少なりともそれが滲み出てくる。
「うちの……」
「え?」
流川がぼそっと言うので、花道は聞き返した。
「うちの犬の名前…ペロって言うんだ」
「ペロ?」
「そう」
人の顔ばかり、やたらペロペロ舐めるから。
そう流川が続けると、花道は分かりやすい!と声をあげて笑った。
「そういえば、あれの名前は?」
「昨日拾ったやつ?」
「あぁ」
「うーん、まだ考え中なんだ」
「そうか」
「考える?」
流川は首を横に振った。
「いや、任せる。早くつけてやってくれ」
そう言うと、彼は任せておけと頷いた。
「次に俺が来るまでに、つけてやってくれ」
「次?次っていつだよ」
「……………」
その問いに、流川は軽く目を伏せて、グラスを見ながら小さく呟いた。
「……近いうち」
そんなことを言う自分に内心驚きながらも、どこかで納得していた。
決して無意識に口が動いた訳では無い。
自分がそれを望んでいるのだ。
ここへ来て、花道の顔を見ることを――――。
「分かった。待っててやる!」
「…!」
俯いていた流川は、花道の元気な声に弾かれたように顔を上げた。
「ん?」
どうした?と花道が流川を覗き込む。
じっと相手を見つめていた流川は、我に帰った。
「あぁ、いや。何でも無い………」
流川は前髪をかきあげ水割りを飲んだ。
心臓が早鐘を打ったように高鳴る。
それを水割りで冷やそうとするが、かなわない。
(これ以上考えるな………)
流川は身の内に沸き起こった感情から目を逸らそうと、違うことを考え始める。
(今度来る時には、違う味の缶詰と…それから何か使えそうなものを差し入れよう……)
必死に花道と、それから自分自身から目を逸らす。
けれど、どうしても全神経がカウンターの中からこちらを見ている花道へ向かってしまう。
一目惚れなど、自分には一生無関係なことだと、実際彼はずっと思っていた。
だから、自分自身に酷く戸惑いを感じていた。
どうしてこんなに彼のことが気になるのだろう。
どうしてこんなに。
しかし、戸惑いとは裏腹に、気分はとても高揚していた。
心が浮かれる。
毎日が楽しい。
彼の顔が見たい。
声が聞きたい。
心臓が痛い程、鳴る。
悪くない。
こんなのも、悪くない。
【恋の火】は、確実にこの時から流川の中で燃え始めていた。
≪≪ novel-top ≫≫