【ラブポップの始まり】 (2)
そしてその翌日。
タクシーの後部座席で大柄の青年は横に座る彩子へ必死に文句を言っていた。
「なんで俺なんすか、彩子さん!」
「だからさっきから言ってるでしょ!困った時はお互いさまって!」
「だからって!俺はゴリの―――!」
「ゴリじゃなくて先生でしょ!」
「ゴリはゴリっす!」
「せ・ん・せ・い!」
ギャーギャー喚く2人をバックミラー越しに覗き見る運転手は、話の内容からして漫画家の話題らしいが口を
挟めるような雰囲気では無いので、普段なら客へ気安く声を掛ける彼も、今回ばかりは空気のように振る舞うこ
とに早々に決めた。
彩子は流川の仕事部屋へ向かうタクシーの中で、花道に簡単に今回の経緯を説明した。
もちろん花道本人も赤木達から説明は受けていたが、自分の知らない間に話が進められていたので、どうして
も納得いかないようだった。
いつまでも言うことを聞かない花道に彩子はヨイショ作戦に出た。
「これは内緒にしろって言われたんだけどね」
「え?」
突然小声でコソコソ話し出した彩子に、花道は怪訝な顔で身をかがめた。
「なんすか」
「超優秀なアシが欲しいっていう楓先生の希望を伝えたらね、編集みんなから一斉にあんたの名前が挙がったのよ」
「え……」
「アイツ以上に優秀なヤツは居ない。最高のアシだ。アイツに任せれば何も心配はいらない。アシの中のアシだ
……などなど。すっごくみんなが花道のことを推薦したのよ。私だってあんたが素晴らしい実力を持ってるって
知ってるわよ?でもほら、赤木先輩や木暮先輩がね、物凄く嫌がってて…」
「嫌がる?」
「そうなのよ!アイツはうちの大事なアシなんだから、他所で働かせるなんて冗談じゃない!って」
「ぬっ」
「アイツが居ないと俺達の原稿はどうなるんだ!って嘆いてたし」
「ぬぬっ!」
「自分の作品を手伝ってくれる花道は貴重な人材だし、宝だ。そして誇りだ…とかね」
「ぬぬぬっ!」
「でも、こうも言っていたわ。アイツの実力は俺達がよく分かっている。だからどこへ行っても必ず完璧に仕事
をこなすだろう。その点は俺達が保障する。安心して欲しいって」
「………」
「信じてるのね、あんたのことを」
彩子はしんみりと締め括った。
「何も一生そこでアシをやれって訳じゃないのよ?ほんの助っ人よ。花道だって、困っている人を放っておけな
いでしょ?」
「ムム…」
ヨイショ作戦が功を奏したのか、花道の態度が軟化した。この青年は煽てられるのに滅法弱いのだ。
しばらく何やら考えていたようだったが、ぼそりと(仕方ねえ…)と呟くのが聞こえた。
「分かったッス。ほんとにちょっとだけッスよ?」
花道はそう言って、人差し指と親指で「ちょっとだけ」というジェスチャーをしてみせた。
「ありがと花道!頼むわ!」
彩子はホッとして表情を和らげた。
「だいたい、ソイツは俺と同い年なんすよね?一体何を描いてるんッスか?」
そう問われた彩子はふいに眼を閉じた。
「彩子さん?」
「そうね…何を描いているのかと問われれば……【ナニ】…かしら」
「ハイ?」
不審げな花道の声に、思わずニヤリと口角が上がってしまった彩子は慌てて取り繕う。
「いや、そうじゃないわ。説明が難しいけれど、言うなれば【肌と肌のぶつかりあい】かしら」
「肌?」
「そして【男と男の熱き闘い】ね」
「闘い?」
「あ、いや、闘いというより…【熱きまぐわい】の方が良いかしら」
いつの間にか彩子は拳を握りしめ、目を輝かせて彼方を見ていた。
なんせ彩子は根っからの腐女子なのだ。興奮するのも無理は無い。
「あ〜、もしかして格闘漫画っすか?」
隣で力説する彩子を若干引きつつ見ていた花道は、とりあえず聞いてみた。
「ん?そうね。まあ、ある意味格闘漫画ね。男と男がくんずほぐれつ―――」
「おお!俺、大好きなんすよ、格闘漫画!読んでると思わず燃えてくるッスよ!」
「そうね!私も大好きよ!萌えるわー!」
彩子はまだ目を輝かせている。
そんな彩子を見て同志でも見つけたように花道は喜んだ顔をする。
「女の人で好きって珍しッスね!」
「そう?最近、凄く人気あるのよ!発行部数もハンパ無いんだから!隠れて好きな子、結構多いんじゃないかな」
「ほほう……っ!」
花道は感心したように頷いた。
なぜか話が噛み合っているのが笑える。
しかし当人達は至って本気トークなのだ。
そんなことを話ながらも、タクシーは目的地へと近付いて行った。
とあるマンションの前で止まったタクシーから先に降りていた花道は、領収書を受け取っている彩子を待つ間、
眩しそうにそのマンションを見上げた。
これから一週間アシに入ることになる作家はどんな人間なのだろうか。
しかし例えどんな人物であろうとも、この天才桜木花道様にかかれば原稿なんぞチョチョイのチョイで終るだろう。
花道はフンッ!と気合を入れた。
郊外に建つそのマンションへ入り、エレベーターで上がると、2人は一つのドアの前で止まった。
表札には「流川」と書いてある。
「ここよ、入って」
そう言って合鍵でドアを開けると勝手知ったるなんとやら。彩子はさっさと中へ入った。
「流川、少しは進んだ?」
「ああ、なんとか」
彩子の後を追って仕事場へ入った花道は、その低く落ち着いた声にドキッとした。
(ん?なんでドキッとするんだ?)
訳が分からず首を捻ると、声の方を見た。
そこには簡単なパーテーションで区切ってある空間があり、その向こうに本人が居るようだった。
「花道、悪いけどちょっと打ち合わせするから先生の作品を読んで待っててくれる?」
そう言うと彩子はアシ用デスクから椅子を引きずってパーテーションの中へ向かう。
「本はその棚に並んでるから」
「ウッス」
言われた花道は取り敢えずパーテーションとは反対の位置にある本棚へ向かった。
その際、部屋を見渡してみる。
想像していたより綺麗だ。
空気清浄機もあるのだろうか。タバコの臭いもしない。明るくて良い仕事場だ。
(悪くねえな、うん)
アシ用デスクも大きくて、作業しやすそうだ。
室内には音が無い。ラジオもテレビも無いが、流川という作家は無音のほうが捗るタイプなのだろうか。
(ゴリんとこは有線放送入れてるんだよな…)
壁には何も飾っていなくて、いたってシンプルだ。
赤木のオフィスには自作漫画のカラーポスターやらフィギュアがたくさん飾られているので、漫画家の仕事場
はみんなそうなのかと思っていたので少し意外に感じる。
花道は色々観察しつつ、本棚の前に辿り着いた。
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