【La vie en rose ?】 
(2)









「帰りに、コーヒーでも飲まないか?」

 レッスンが終わり、みんなで椅子や譜面台を片付けていた時、花道の背後から
お誘いの声がかかった。


 流川だ。


「せっかくだけど持ち帰りの仕事があるからよ。それに夕飯もまだだし……」

 花道は流川の方を向こうともせず早口で断り、椅子を片付けていく。

「丁度良い。俺もこれから晩飯なんだ」

「ぐっ」

 誘いを断りさっさと帰宅したいと思っていた花道は言葉に詰まった。

(なんでコイツはいつも俺ばっかり誘うんだ!!!)

 例の事件から二週間。

 アレ以来、流川は反省の色を小指の先程も見せず花道を構い続けた。

 花道はこの楽団を辞めたかったのだ。

 退団届だって書いた。

 しかし恩師安西に上手く言い包められ(本人は頑なに引きとめられたと思っている)、
仕方無く退団は諦めた。



『このショウホクには桜木君が必要なんです』



 その一言が決定打だった。

 花道は元来、頼られると嫌とは言えない性質なのだ。

(俺って損してねぇか……)

 そんなことを自問自答することもたまにある。

「…………」

 無言で片付けを続ける花道を流川はじっと見ている。

(見てんじゃねぇ!)

 強い視線を感じつつ、花道は空腹を訴える腹をなんとか宥めすかす。

 花道は一人暮らしだ。

 誰だって一人で食べる食事より、誰かとする食事の方が良い筈。

 しかし今回ばかりは「コイツと飯を食うくらいなら、一人の方がマシだ!」とまで
思っていた。

 
……ふぅ。
 

 溜息が聞こえたかと思うと、花道の背後でガチャガチャと椅子を片付ける音が
聞こえた。

「あ!流川君!そんなこと私達がやるわよぅ!」

 片付け始めた流川にいち早く気付き、晴子は慌てて駆け寄った。

 流川から椅子を取り上げた拍子にお互いの手が微かに触れ合い、晴子は恐ろ
しい程顔を真っ赤に染めて「あたしったら…ごめんなさい!」などと、触れた手を
握り締めている。

 振られたというのに、女は強い。

 そんなやり取りを悔しそうに目の端に入れつつ、花道は舌打ちしたい気持ちを
押さえ譜面台を片付けた。

「はい、お仕舞い。お疲れさま」

「お疲れさまです」

「お疲れ」

 片付けが終了した団員達が口々に言う。

「あの、晴子さん!よ、良かったら一緒に晩飯――」

「え?私?ごめんなさい、今日見たいドラマがあるの!」

「あ!アレでしょ!【冬のアナタ】!」

「そうそう!素敵ですよねぇ、モン様!」

「私、モン様のカレンダー予約しちゃったの!」

「え!私も私も!」

 晴子を含めた女性団員達は、花道をほっぽりだし何やら楽しそうに語りだした。

「録画予約したんだけど、やっぱりリアルタイムで見たいから、もう帰らなきゃ」

「あ、ホント!電車間に合わなくなっちゃう!」

「それじゃ!」

「お先にー!」

「お疲れさまでーす!」

 慌しく去っていく女性陣を呆然と見送った花道は、すぐ近くで自分を見ている
流川に気付いた。

 花道は舌打ちする。

 女性陣が階段を下りる音が完全に消えたことを確認し、花道はくるりと向きを
変え男を睨む。

「あのなぁ!なんで俺ばっかり誘うんだよ!他のヤツに声掛けろっつーの!」

「他のヤツに用は無い」

「俺はお前とコーヒーも飲みたくないし、飯も食いたくない!俺には用は無いんだ!」

 人差し指を流川にビシッと突きつける。

 その指をゆっくりとした動作で軽く払い、流川は溜息をついた。

「なぜそんなにムキになるんだ?コーヒーくらい良いだろう」

 まるでその言い方は、花道の態度に呆れているかのようだ。

 もしくは言う事をきかない子供を諭すようなそれ。

 花道は思い切り流川の股間を蹴り上げてやりたい衝動に駆られた。

「だいたいてめぇは――」

「あのぅ………」

 もう終わりましたか?

 入口から顔を出しているのはこのビルの守衛のオジサンだ。

 思い切り文句を言ってやろうと思ったのに、出端をくじかれてしまった。

「あぁ、申し訳無い。今帰るところなんです」

 流川が穏やかに告げた。

「あぁそうですか?それじゃ鍵閉めますんで…」

「済みません。………行くぞ」

 カバンを持ち、花道を促した。

「くっそーっ」

 ブチブチ文句を言いつつ二人揃ってビルの外に出た。

「じゃーな!」

 無視してさっさと帰ってしまえ!と足を踏み出すと、腕を掴まれた。

「待て。話があるんだ」

「俺にはねぇって言ってんだろ!放せ!」

「オケのことで相談があるんだ」

「む!」

 オケの相談、と言われてしまうとコン・マスである花道は抗えない。

「突っ立ってても仕方ない。飯でも食いながら話す」

 そう言って流川は掴んだ腕をグイグイと引っ張って行った。

「お、おい!ちょっと待て!!」

 足が縺れそうになりながら花道は結局連行されてしまった。

 5分程歩いたところにその店はあった。

 小料理屋【夕月】。

 暖簾をくぐると、暖かい空気と共に良い香りが漂い、花道は一瞬怒りも忘れて
しまいそうになる。

 もうここまで来て反発するのもバカバカしいので、開き直って食事に専念する
ことにした。

 そうだ。

 一緒にいるのはキツネの置物だとでも思えば良い。

 カウンターに座ると「ビールか、日本酒か?」と流川が尋ねてきた。

「………酔わそうったって、そうはいかねーぞ」

 唸るように小声で言うと、流川は眉を上げた。微かに笑ったようだった。

「俺はビールにするが………」

「………俺も」

 流川は一つ頷くと生ビールを注文した。

 そして料理も数点見繕う。

 後はもう、只ひたすらビールを飲みつつ飯を食っていた。

 料理は悔しいことに美味かった。

 飯に罪は無い。

 流川の言っていた『オケの相談』とは、今後の予定が主だった。

 演奏曲や演奏会の話など。

 流石に適当に相槌を打つわけにもいかず、花道はあさりの味噌汁を啜りながら今後に
ついて話し合った。









 そんなこんなで時間はあっという間に過ぎた。

 そして気付けば花道は頬が火照り体がフラフラして、とても気分がハイになっていた。

 始めはビールだけで済ませようと思っていたのに、近くに座っていた見知らぬオッチャン
が日本酒を勧めてくれて、ついつい飲んでしまったのだ。

 良い飲みっぷり!などと煽てられると、もう止まらなかった。

 なんだかんだで千鳥足になるほど酔ってしまったのだ。

「どあほう……しっかり立て………ほら…」

「うるへぇ!るかぁ!俺は酔ってねぇっぞぉ!」

「ヤレヤレ………」

 気を抜くと今にもその場に座り込んで眠ってしまいそうな花道に、流川はほとほと手を焼いた。

 仕方ないので店のオヤジにタクシーを呼んでもらうことにする。

「ん〜…」

 機嫌の良い酔っ払いを肩に寄りかからせて、運転手に行き先を告げた。

「富ヶ丘町のマンション湘北まで」

 肩に寄りかかる花道は、車の振動に気持ち良さそうに目を閉じてる。

 目的の場所に到着するまで、流川はその顔をずっと眺めていた。

 マンション湘北は小料理屋からタクシーで5分程のところにある。

 千鳥足の花道をなんとかマンションの最上階へ連れて行くと、自分のジャケットから
鍵を取り出した。

 そして流川は大きな花道の体をしっかりと抱え直し、そのドアの向こうへ消えた。

 表札には【流川】と名前が記されてあった。






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